雨の日にはたまに

のどかにつづる

帰ってきたエイブルスキーバー

たこ焼きのような形をした真ん丸のパンケーキ「æbleskiver (エイブルスキーバー)」を初めて食べたのは、4年前の冬だった。その年の冬はデンマークに3ヶ月間滞在しており、大学で新しい研究の手法を習っていた。海外にこんなに長く滞在するのは初めてのことで、週末はあちこち歩きまわって、街の様子やら公園の樹々やらを見ては、飽きもせずに楽しんでした。

クリスマス前のどことなくふわふわした雰囲気に満ちたある週末、街中を散歩していると、アパートの1室を開放した手作り市に出会った。道路に面した部屋に看板が出ており、中にはクリスマスの飾りや軽食が並べられている。温かい雰囲気にひかれてふらりと入ってみると、部屋の隅のソファーでは、たぶんこの家の子供たちが遊んでいたり、家主さんと近所の人が談笑していたり。部屋のなかをひととおり見て、軽食を売っているカウンターのところにやってきた。

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手作り市の様子

軽食のメニューは2品だけ。デンマーク語はまったくわからないので、何が売っているのかよくわからない。けれど、このすてきな雰囲気のところでまずい食べ物が出てくることはなさそうだし、よくわからない食べ物に挑戦するのはわたしの好むところ。そんなわけで、ふたつとも頼んでみた。(ちなみに、デンマークでは決済の電子化が非常に進んでいて、3ヶ月間の滞在中に現金を使ったのは、たしかこのときだけだった)

出てきたのは、たこ焼きのような丸い食べ物と、温かい飲み物。飲み物のほうは、スパイスのたくさん入ったホットジュースで、デンマーク語でいうところの「gløgg (グロッグ)」をワインのかわりにジュースで作ったようなもの。食べ物のほうは、真ん丸な形のパンケーキで、パウダーシュガーをふりかけてラズベリーのジャムと一緒に食べる。こじんまりとした居心地の良い空間のせいなのか、どちらも妙においしく感じられて、そのパンケーキの「æbleskiver」という名前をメモさせてもらった。ぽかぽかと温まったあと、お礼を言って部屋を出て、ふたたび散歩を続けた。

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エイブルスキーバーとスパイスたっぷりホットジュース

エイブルスキーバーとはリンゴのスライスという意味のようで、昔はこの中に細かく切ったリンゴなんかを入れていたそうな。デンマークではクリスマス前によく食べられるスイーツとのことだった (日本語のWikipediaにもページが作られている)。このときのデンマーク滞在で印象に残ったことはたくさんあったけれど、居心地の良い手作り市のエイブルスキーバーも、しっかりそのなかに入っていた。

 

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時は流れて2021年の冬、わたしはふたたびデンマークにいて、エイブルスキーバーを食べている。わたし自身もパートナーも、数年間の在外研究のための研究費の申請が同時に通り、また戻ってくることができたのだった。4年前の滞在期間は3ヶ月間だったので、だいぶあわただしく毎日が過ぎていった。しかし今回は2年間の時間があり、また、4年の歳月が流れるあいだに生まれた子供も加わったため、時間の流れがだいぶゆっくりしている。

そのようなゆったりした気持ちでスーパーマーケットの冷凍食品をのぞいていると、ある日、袋詰めにされたエイブルスキーバーを発見した。自分で焼かなくとも、あのふわふわしたパンケーキが食べられるのである! 迷わず購入して、休日の朝ごはんに解凍して食べてみた。

市販のものも十分においしくて、オーブンで焼くと表面がカリカリして楽しい。焼き立てをアチチと指でつまみあげて半分に割り、クリームチーズラズベリーのジャムを塗ってほおばると、生地に練り込まれた柑橘系の香りがふっと鼻に抜ける。エイブルスキーバーを食べて、「デンマークに帰ってきたのだな」と、また思った。

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デンマークの公園はどこも美しい

 

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このエントリーは、ひぐちさんの立ち上げられたアドベントカレンダーLet's シェア! 外国のクリスマス🎄」の12月3日 (金) 分の記事として書いたものです。

今回デンマークに帰ってくるにあたり、4年前とのもっとも大きな違いは、COVID-19のパンデミックによって渡航がかなり大変になっていたことでした。いちど経験したはずの居住許可申請は、まるでまったく違う手続きになったかのように感じられて、入国に必要なそのほかの書類や手続きも増えていました。感染状況によって入国に必要な条件が変化し、長期的な予定も立てづらい状況でした。

渡航前のそのような大変な時期に、デンマークのことを書かれているひぐちさんのnoteを発見し、すこしずつ記事を読んでは、面倒な手続きに萎えかかる気持ちを元気づけたり、ときには手続きに役立つ情報を得ていたりしました。渡航してきたあとも、毎日のなかで見聞きするものごとが「ひぐちさんのnoteで見た!」というものだったり、日常のちょっとした知識を得られたりして、いろいろと参考になっています。この場を借りて、お礼をお伝えしたいと思います。ありがとうございます。

デンマーク地方選挙2021年の風景

デンマークでは地方選挙が11/16の火曜にあるため、街は静かに盛り上がっている。いたるところに候補者のポスターが貼られ、ビラを配る人たちがあちこちにいる。家のポストにもチラシが届く。小さな贈り物も問題ないようで、コーヒーを振る舞っている政党があったり、候補者の写真が貼られたハリボーがチラシについていたり、ジュースのパックを手渡していたり、折りたたんだコーヒードリップペーパーをくっつけている候補者もいた。機械的にビラを渡して終わりとか、一方的に政策をがなりたてて終わりとかではなく、対話をしようとしてきてくれるところはさすがデンマークだなと思う。残念ながらデンマーク語がわからないので、話しかけられてもあんまり応えられなかったけれど。たぶんその延長で、拡声器を使ったりしている人もいなかった。あくまで、対面で、一対一で、人間どうしがコミュニケーションをとる。

候補者のポスターも思い思いに工夫を凝らしていて面白い。みんなキメ顔で名前と政党名があって、というところは日本のものと似ているけれど、スーツを着ている人はごくわずかで、自分のバックグラウンドや政策に関連した内容を表しているようだった。(工具やドライバーを腰に下げた作業着姿の人、眼帯をした人、自分の描いた絵もポスターにしている人など)。そして、全体的に年齢が若く、男女の割合も半々くらいだった。日本の選挙ポスターでよく見る「おじいさん」といった感じの人はほとんど見なかった。たとえばこのページに、ユニークな選挙ポスターがいろいろ取り上げられている

 

大学のイントラネットにも、外国人向けの選挙案内が英語で掲示されていた。自分には選挙権があるのかどうかの確認、どうやって投票するかや、さらなる必要情報がどこで確認できるかなど。そう、デンマークの地方選挙では、外国籍の人でも、EU国籍があったり国内に4年以上居住したりなど、一定の条件を満たせば投票ができる。(国政選挙のほうには投票権がないらしい)

ところで、各政党の特徴を調べてみると、ビラやポスターに対して抱いていた印象が裏付けられるのもおもしろい。地球温暖化を取り上げている政党は環境保護の政党だったり、いかにも選挙ポスター!というところは左派・右派を問わず伝統的で大きな政党だったり、強面のおじさんのポスターは極右政党だったり。

 

選挙の当日、この日はもうお祭りのような雰囲気もあった。別のキャンパスに行こうと道を歩いていると、選挙ポスターをボードにしたものを掲げ持った人たちが何人も集まって、スピーカーから流れるノリのいい音楽に合わせて踊っている。車道や自転車道に向けて長い横断幕をみんなで持っている人たちもいる。今日は火曜で平日だけれど、暇をもてあましたお年寄りたちの活動といった雰囲気はまったくなくて、性別問わず若い人の割合が大きい(30代以前が半分くらい?)ように見えた。

選挙が終わっても、街のあちこちに貼られたポスターは撤去されるきざしが見えず、選挙の余韻をまだ残している。デンマーク投票率は非常に高いけれど (COVID-19の影響のため過去100年間で3番目に低い投票率だったが、約67%あったそう)、この国では選挙がみんなの活動であり、人々がみんなで作り上げているものなのだということが、すこしわかったように思う。

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大学前に貼られた選挙ポスターたち(道路向かいの柵にもたくさん貼られているのに注目)

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横断幕を持つ人たち

 

ロヨラアームズの昼食

自分のことを棚に上げて、自分と周りの人間は違うのだという自意識に浸ることができるのは大学生くらいの年代の特権なのではないかと (私自身のn = 1の経験をもとに) 私は思う。周りを見渡すと、ほとんどの同級生はつまらないシステムに盲目的に従い、人生のなかの大事なことを見失っており、読書だって全然しない。自分は大学の授業もそこそこに、おもしろい小説を次から次へと読みあさり、ロシア文学やフランス文学についてあれやこれやと語り明かしたいのに、そういうことのできる同級生は周りにひとりもいない。なんてこったい、ぶつぶつぶつ……。

そのような年代にあって、ごくまれな同好の士との出逢いは何にも増して価値がある。たとえば、たまたま帰りが一緒になったクラスメイトと世間話をしていると、実は相手も文学が好きなことがわかり、最近読んだ小説の話であっというまに時が経つ。そのことで、自分も相手もおたがいに一目置くようになり、他は本当にくだらない友達づきあいのなかで、どこか共犯者めいた、親しげな関係が少しずつ育っていく。

大学生くらいの年代では、こうした状況にライフスタイルの変化があわさってくる。親元を離れてひとり暮らしや寮生活を始め、人生で初めて経験する、誰にも指図されることのない自由と、誰にも気にかけられることのないさみしさが同時に出現する。そのような状況で出逢った同好の士は、無味乾燥で灰色の人生のなかで唯一、暖かな色としっとりした重さを持っている。この相手と過ごす時間は、それが得られるときにはすべてを満たすものとなり、それが得られないときには焦燥が心を灼きつくすものとなる。

 

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スチュアート・ダイベックの短編集『僕はマゼランと旅した』に収録されている「ロヨラアームズの昼食」には、そうした若い頃の乾いた焦燥感と、同好の士との恍惚とした、しかし思い返してみるとどこか恥ずかしい喜びが描かれている。オムニバス的に綴られる11篇のなかで中心的な語り手となるペリー・カツェクは、ポーランド系移民の父親を持ち、シカゴの下町で喧騒にまみれた少年時代を送る。短編の多くは、ペリーが少年から大人に成長していく過程の断片をとらえており、「ロヨラアームズの昼食」は時系列的にもっとも後のほうのペリーの様子を描いているように見える。

大学に入り、親元を離れて貧乏下宿暮らしを始めたペリーは、社会主義系の書店で知り合ったメロディという若い大学生と親しくなる。両者ともに文学に傾倒しており、どこか気取っているものの、交わす会話の端々には、自身の知識やウィットを受け止めて理解してくれる同好の士との語らいの喜びと、そのような得難い相手への感嘆がのぞいている。ペリーとメロディは心だけでなく体も交わらせるようになり、しかしガールフレンド/ボーイフレンドと言うにはどことなく違う、つかず離れずの関係を転がしていく。

彼らはこんな会話を交わす。

「僕は人生を俳句のように生きてるのさ」と僕は言った。「一音節ずつね」
「高校で一番好きだった先生に、あるときレポートのコメントに『毒舌は弱い者の最後の防御策だ』って書かれたわ。それにこのサキソフォン―これってほんとに吹くの、それともただの飾り?」
「沈黙のミュージシャンになる練習をしてるのさ」と僕は、前の晩にマラルメの翻訳書で読んだばかりのフレーズを引用して言った。
彼女はただ、退屈な人間以上に退屈なものがあるとしたら気どった阿呆ね、と言いたげな目で僕を見ただけだった。
彼女が感心していることが、僕にはわかった。

ペリーは、世界の見方と、世界からの逃れ方を同じくするメロディと過ごす夢のような時間に取り憑かれながらも、自分が彼女の存在に囚われていることを、すこし引いた視点から俯瞰している。初めて手にした完全な自由と、あまりに強力なさみしさ。連絡もなくふらりと現れるだけのメロディの不在は、圧倒的なさみしさに変わり、古びたアパートがきしむさまざまな音を聞きながら、彼女が現れない喪失感を抱いて苦悩する自身を見つめつづけることになる。

窓に座ってビールを飲み干し、午後がまだまるごと目の前に広がっていたあのときほど、自分が自由だと思ったときを僕は思い出せない。そして、あのときほど自分が独りだと思ったときも。

思い返せば胸がきゅっとしめつけられるようなこの甘美なさみしさは、形こそ違えど、この短編を読む私にも覚えがあるのだった。

 

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これは自分が出逢ったなかで最高の小説だと思いながら、ダイベックの前作『シカゴ育ち』を読み終わった私は、すこしびくびくしながら、次作となる『僕はマゼランと旅した』を読みはじめた。これが前作に比べて全然ひびかなかったらどうしょう……。そんな心配もあって、ずっと前に購入していたものの、『僕はマゼランと旅した』は長らく本棚の奥に積まれていた。しかし、はじめに収録された短編を読み進めてすこししたところで、そんな心配は無用だったという安堵と、前作以上の感嘆が私を包んだ。

ダイベックは、シカゴの下町の、それも特にハイソなところとは正反対の世界を描く。貧しい移民たち、おんぼろの自動車、喧嘩や犯罪、アルコール中毒、薬物、安いセックス、などなど。そのような喧騒に満ちた世界を描きながらも、物語がどこか安らかでユーモラスな色彩を帯びているのは、子供や青年の目を通じて、そうした世界が記述されているからなのかもしれない。『僕はマゼランと旅した』では、そうした喧騒のさなかで大人になっていきながら、その一方で、そうした喧騒を一歩引いて眺めることのできるペリーの目を通じて、多くの物語が語られる。

ペリーが「ロヨラアームズの昼食」よりも小さかった/若かったときの場面には、たとえば、弟のミックと夜ベッドに入ってひそひそ声で子供たちだけの世界を作りあげていく様子だとか、高校卒業前後の悪友と秘密の場所を共有する愉しさだとか、これは確かに私も昔やったたことがある! といった懐かしさを感じるものが多い。かなたに忘れられていたそのような若い頃の記憶をみずみずしくほじくり出してくるダイベックのすばらしい文才は、『シカゴ育ち』のときと同じく、『僕はマゼランと旅した』でも健在なのだった。

『僕はマゼランと旅した』には、オカルティックな思想に傾倒していく憎めない弟のミック、厳格な堅物だがどことなく哀愁漂う父親のサー、戦争で精神を病んだサックス奏者の叔父レフティルチャドール崩れのテオなど、それぞれに個性的で魅力的な登場人物が現れる。主な語り手のペリーだけでなく、そうした人びとの送るさまざまなままならない人生と、そこからいまだに生まれ出る物語とが、シカゴの下町の喧騒と混じり合って、この独特の雰囲気を紡ぎ出している。

私はシカゴはおろか米国に行ったこともないのだけれど、ダイベックの小説を読んで、シカゴという街のことをよく知っているような気になっている。

 

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翻訳者の柴田元幸さんはあとがきでこんなことを書かれている。

いつも大好きな作品しか訳さないので、校正刷りをくり返し読むなかで飽きてくるなどということはあったためしがないが、それにしても、こんなに読めば読むほどその素晴らしさをますます実感できた作品も珍しい。一人でも多くの方にその実感を共有していただけますように。

私もこの意見に大賛成で、そのようなわけで、チェコの小説の紹介などと迷ったすえ、今年読んで本当に感嘆した『僕はマゼランと旅した』について、海外文学・ガイブン Advent Calendar 2020に文章を書こうと思った次第。

 

チェコの現代小説いろいろ

今年はふとした縁からチェコとつながり、行ったこともないこの中欧の国についてすこしでも知識を得ようと、チェコの小説を集中的に読んだ時期があった。チェコのことに通じた達人のような人が身近におり、いろいろと教えてもらったことで、情報収集の幅はさらに広がったように思う。この縁は結局、ときのいたずらによって細くなり、COVID-19によって流れが止まってしまったけれど、いつかは必ずチェコに行きたいと思っている。

そんなわけで、このときに読んだチェコの小説などを紹介してみたい。

 

その前に、チェコと言えばなんといってもミラン・クンデラが有名ではないだろうか。一昔前にクンデラの作品にはまった時期があって、『存在の耐えられない軽さ』『不滅』『冗談』などを読みあさった (『不滅』がけっこう好みだった)。そのときはクンデラチェコを結びつけて読んでいたわけではなかった。けれど、後に述べるように、チェコの小説には戦争や支配者に蹂躙された大変な近現代史が色濃い影響を与えていることが多いみたいで、そうした時代背景を理解している今もう一度クンデラの作品を読んだら、感想も変わるかもしれないなと思っている。

それと、SF方面で有名なのはカレル・チャペック。SFはあまり得意ではないので手に取らなかったけれど、『園芸家12ヶ月』は本棚に積まれていて、近いうちに読みたいと思っているところ。

チェコの現代小説を探すにあたって、阿部賢一さんのインタビューを大いに参考にした。このインタビューだけでも非常におもしろくて、一読の価値があると思う。

 

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まず最初に紹介するのは『チェコとスロヴァキアを知るための56章【第2版】』。小説ではないのだけれど、私は明石書店のエリア・スタディーズシリーズに絶大な信頼を置いていて、初めて行く/調べる国のことをよく知ろうと思ったとき、私はまずこのシリーズ『○○を知るための○章』がその国について刊行されているかを調べる。

チェコのことを知る必要があることが判明したその日に、私はこの書籍を取り寄せて購入し、内容をざざっと読んだ。歴史、政治、経済、文化、食、暮らし、自然などを、その分野の専門家が網羅的に解説してくれる本書のシリーズは、特定の国を過不足なく理解するための第一歩として最適である。

後に小説を読みながら、『チェコとスロヴァキアを知るための56章【第2版】』に立ち返り、このところはどうなっていたか……ともっともよく参照したのは、チェコ近現代史を扱ったところだった。チェコは、古くにはオーストリ帝国やハンガリー帝国、第二次世界大戦あたりにはナチス・ドイツ終戦後は共産主義ソビエト連邦など、さまざまな強国の影響を受け、支配されたり独立したりを繰り返しながら現代まで力強く存続してきた。こうした大変な歴史背景が小説にも色濃く影響を与えており、日本語に訳されている多くの作品では、戦争や共産主義の時代の話題が切り離せない物語の核として提示され、被支配の苦しい歴史を乗り越える力にもなってきたと思われるニヒリスティックなユーモアが随所に現れている。

 

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読みやすそうなものということで最初に選んだのは、パヴェル・ブリッチの児童書『天使は夜な夜な舞い降りる』だった。見守るべき人間が眠った後、プラハのとある教会に守護天使たちが集まってくる。彼らはミサ用のワインを傾けながら、愛すべき人間たちについての人間臭いおしゃべりを繰り広げる。無名の人びとから歴史の英雄まで、さまざまな人間の悲喜劇に守護天使がどう関わり、ときに当の人間以上に人情にあふれどこか間の抜けた天使たちが右往左往する様子が愛らしい。人間たちが馬鹿な振る舞いに及んでも守護天使たちは見放すことなく愛を注ぎ、人間たちがまれに「天使のような」振る舞いをするとワイングラスを叩いて感嘆する。

ただ、守護天使たちはすべて男で、人間たちもほとんどが男性 (しかも女性はどこか超然とした役割を与えられる) というジェンダーバランスの偏りが気になった。ともあれ、どの話も最後はハッピーエンドで終わり、読み終わった後にはほっこりした気分が残る。

 

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ジー・クラトフヴィルの『約束』は、プラハに次ぐチェコ第二の都市ブルノを舞台にしたスリリングな物語。共産党体制下のブルノで、建築家のカミル・モドラーチェクは、秘密警察の尋問に愛する人を奪われ、復讐の念に取り憑かれる。さまざまな偶然と機会の重なり合いによって、この復讐は意外な形に変容していき、後半からはまるで別な小説が始まったかのような不思議な物語が続く (安部公房の『方舟さくら丸』を思い出した)。

どのような形であれストーリーをこれ以上具体的に語ると重大なネタバレになってしまうのが心苦しい。けれど、メインの物語にからみあうかたちで、さまざまにビビッドな逸話が挟まれてくる。濡場をフラッシュで抑えることを得意とする探偵のダン・コチーの話、警官同士が互いを階級の敵とみなして無実の処刑をするグロテスクな場面、ブルノの建築、ナボコフの考えたチェスの二手詰めの話などなど。モドラーチェクの構築したユートピアは、社会主義の不完全なユートピアのメタファーになっているのではないかと、そんなことを思ったりもする。

 

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ボフミル・フラバルの『わたしは英国王に給仕した』は、スケールが大きく痛快な物語。貧しい階層出身の主人公ヤン・ジーチェは、プラハのホテルで給仕見習いとして働きはじめる。不条理な支配関係、金持ちたちのグロテスクでユーモラスな低俗さ、コールガールたちの熱情、ビジネスマンたちの金銭欲求など、はじめて触れる世界を、ジーチェは素直な目で見つめる。彼は人間関係の不幸な出来事に見舞われてホテルをいくどか移り、しかしそのたびにホテルの格も上がり、出世していく。

しかし、ナチス・ドイツの台頭と、その後のドイツ人の排斥運動、さらにその後のソ連による支配によって、順調な人生には波乱が巻き起こり、大きな社会の動きに翻弄される。お金や名誉がすべての価値観である世界に浸かり、その価値観に染まりながらも染まりきらないで、きわめて素直に、どこかひょうひょうと世の中をわたっていくジーチェ。彼は、さまざまな経験や社会の変動を経て、自分との対話や心のふれあいや汗して働くということに価値を見出すようになっていく。全編を通して描写される醜い金持ちたちもどこかユーモラスで、好色でニヒルなユーモアにあふれて、登場人物の誰も憎むことができないのだった。

 

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オタ・パヴェルの『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』は、魚釣りにとりつかれた著者の半生を綴るような短編集。子供時代に魚釣り狂の父親やおじさんに感化され、暗い大戦の時代を経て、戦後奇跡的に強制収容所から生還した兄たちと、さまざまな川で明けても暮れても魚釣りをつづける様子。がさつでユーモアの染みついた男たちと、面倒を巻き起こす男たちの後片付けを粛々と進める強い女たち。そしてなによりも、美しいボヘミアの森と川と魚たちの印象が強く心に残って、しみじみと良いなあと思う。

チェコの小説は、ブラックユーモアに溢れたどことなく暗い話が多いような印象をもっていたけれど、『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』を読んで、チェコの小説にあるのはそうした暗い側面だけではないことに思い至った。森深い自然の豊かさ、人間どうしの心温まるやりとり、歴史の大きな流れに巻き込まれながらも力強く生きる人たちなど『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』は、そうした希望に満ちた別の側面をやさしく提示してくれている。

兄貴はそんなぼくに全く気付かず、こうつぶやきさえした。「入れ食いだよ、すばらしく釣れるなあ!」魚を釣り上げるたびに笑い、陽気で、幸せそうだった。犬も幸せそうだった。ずっと彼らを見ていると、不意にわかってきた。兄貴は満足しているのだ。変わりなく魚を釣っていられることに。水辺にいてそのそばを川がめぐり、川向こうには森が広がり、そこでは雉がまた喜びに叫び、湿った土の中からミミズを掘り出して食べている、そういったことに。

 

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最後に、日本語に翻訳された小説を読んでいる以上、なんらかの偏りが生じてしまうのは避けられないことと思う。出版社や翻訳者の選書の好みや、多額の売り上げを獲得しうる人気の潜在性など。私の読んだごく狭い範囲のチェコ小説は、書き手や登場人物のジェンダーバランスが男性優位で、そうでない作品ももっと読んでみたいなと思ったりもしている。しかしなににせよ、いずれの作品もおもしろくて、偶然のなりゆきからチェコの現代小説の新たな世界を垣間見られたことを、実にうれしく思ったのだった。

息切れのち

アパートメントというサイトでの連載が終わったあと、ちょっとさみしくなってしまって、こちらでこのブログを開設した。いくつかエントリーを公開したあと、もういちどアパートメントに戻ることになって、長期滞在者として毎月連載をしていた。2年くらい書けるかなと思っていたけれど、1年半くらいで息切れしてしまい、連載を終わらせてもらった。

そのあとずっと放置していて、1年半が経った。最近、またちょっとずつはじめてみようかなと思う。

 

旅に持っていく本

旅に持っていく本は楽しいものだと思う.日数や,旅先での日々を想像しながら,今の気分とあわせて,どんな本を楽しめそうかなと,積ん読の山を漁る.

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旅先となる国や地域で書かれた本を持っていくのは,オーソドックスな正攻法.『幻のアフリカ』はウガンダの森の中で読み,『高慢と偏見』はヒースローの国際空港で夢中になって読みふけり,そうそう,ガンジス川のほとりの街で,現地の貸本屋にあった『深い河』を午後めいっぱい使って読破したこともあった.

そうした本が書かれた時代や細かな状況は当然違うわけだけれども,旅先の場所にちなんだ本を読んでいると,そうでない本を読む場合と比べて,没入の度合いが違ってくるような気がする.

旅に出かける前に,その国の代表的な作家を探して,そのなかかおもしろそうな作品をみつけてくるのも楽しい.本の装丁や,タイトルやあらすじが与えるイメージは,けっこう重要な情報で,この本は好きかもしれない,と思った場合は,50%くらいの確率で,やっぱり読後に気に入ることが多いような気がする.

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印象的な本の場合には,旅先での記憶と,小説の中の一場面が分かちがたく結びついてしまうことがある.旅先では移動中に本を読むから,結びついているのは,ほとんどが,なにか乗り物に乗っているときの些細な記憶である.

北海道に移動する飛行機のなかで,『赤目四十八瀧心中未遂』のやりきれない閉塞感にがっしりつかまれてしまったし,『わたしを離さないで』のピエロが鮮やかな風船を持って曇天の下を歩いて行く場面は,「多摩モノレール」の逆方向に乗ってしまったある朝と結びついている.京都の太秦のあたりでバスに乗って読んでいたのは,『不滅』のローラとポールをアニェスが見つめる場面だった.『ガダラの豚』の血に飢えた暴力性は,のどかな北の島の暮れかける海を眺めながら.『贖罪』の,すべてがもろもろと崩れていく衝撃は,福岡の空港の夕方で読んだのだったっけ.『緑の家』の砂が吹き荒れる砂漠のイメージは,ドーハから帰国する飛行機の大きな揺れのなかで何度も思い出していた.等々…….

ちなみに,自宅や仕事場ではあまり小説を読まないのだけれど,この文章を書きながら,北千住の5畳の部屋で午前中一気に読んでしまって,その午後はなにも仕事が手につかなかった『ふがいない僕は空を見た』だとか,夕方の仕事場の居室でひとり,深夜まで残って読み切ってしまった『こんな夜更けにバナナかよ』だとかも思い出した.

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旅先で,毎日すこしずつ水飴を舐めるように読む本もある.たとえば,武田百合子の本はそうした目的に最適で,『富士日記』は名古屋で調査をしながら毎晩読み進め,『日日雑記』は調査地で,気分が乗らない晩なんかにちょっとずつ消費していった.

こういう本は,移動中にざざっと読み切ってしまうのがもったいなくて,手荷物ではなくてスーツケースのなかに大事にしまってから旅に出かける.ばたばたした毎日を活力にあふれて過ごし,結局読まないで帰ってくることもあって,精神的なお守りみたいなものかもしれない.

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近頃は,仕事のほうが私を置いてどんどん先に行ってしまうので,必死についていくため,移動中も論文を読んでいたり,ラップトップを開いて作業していたりすることが,ほとんどになってしまった.それはそれで良いのだけれど,そうして小説を読む機会を失っていると,だんだん心が荒んでくることに気づいて,最近は,以前のように,移動中は意図的に仕事をしないようにして,ただ小説に向きあうようにしてみている.

積ん読のなかに魅力的な本があれば,仕事をちょっと差し置いても,その本を早く読みたいと思う.でもそれと同時に,早く読み終わってしまうのはもったいないような気もして,結局その本は家に置いたままにしてしまうこともある.旅の準備をしているほんの短いあいだの判断が,その旅全体をどんな本と共にするかを決定してしまう.あの本を持ってくれば良かった…!と思っても,旅に出てしまったわたしにはどうすることもできず,持ってきた本と向きあうほかない.

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……物語は良い.出張なり調査なり,わたしは現実の旅の途中におり,ちょっと違った日常のなかに在るけれど,小説の舞台もまたそれとは違った日常の中にあって,本を読むわたしは,いくつもの人生を同時に頭の中に思い描いている.

 

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青い空がきれいで

青空を見上げるのが本当に気持ちよいときがある。実は、空はいつだってきれいなのだけれど、湿度や光の具合や風の強さやら、あるいはわたしの気分なんかが作用して、ことさらに記憶に残ることがある。

それはたとえば、春と言うにはもう暑く、しかし初夏というにはまだだいぶさわやかな昼下がりに、長ズボンの裾をすこしまくって、ふと周りを見渡してみたときだとか、8月の真っ盛りに、冷房のきいた屋内から外に出て、真っ白な光が皮膚に焼きついてきたときだとか。目を細めながら上を向いて、ああ真っ青だ…と、それ以上何を言えばいいのかわからないようなことを思う。

 

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そういうことを思ったのは、ちょうど、6月の北海道で、動物園の芝生広場の白樺の木陰に腰をおろして、お昼を食べているときのことだった。気温は高くて、ひなたを歩いているとすぐに汗がにじみ出てくるけれど、木陰に入るとそよ風がふわふわと当たり、体温と外気温が平衡して、とっても気持ちが良い。

湿度は低くて芝生はしっかり乾いており、服が肌にべたつくこともない。その動物園がある小高い丘からは、木々の緑と空の青が境界をつくるところに、ところどころ市街の白い色が見渡せる。わたしのまわりには白樺の木漏れ日が芝生に落ちて、遠くのほうをのんびりと、家族連れや若い人が歩いている。

 

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お昼に持ってきたのは、ブルーベリーのベーグルとクリームチーズ。どちらも駅前の地産品店で買ったもの。ベーグルはずっしりもちもちとしたわたしの好きなタイプ。クリームチーズはたっぷり1パックが半額になっていたものを、ええいたくさん食べてやれ、と思い切って買ったもの。ゲストハウスのキッチンのフラパンで、半分に切ったベーグルをこんがり温めて、クリームチーズはたっぷり取り分けたのをラップに包んで、つぶれないよう、先ほど食べ終わったティラミスの空き容器に収納して。

ベーグルはまだほんのり温かく、さわやかなクリームチーズが良い風味。白樺のほどよい幹を背もたれに、上を見上げると、新緑の向こうにきれいな青空が見えたのだった。

 

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さらに思い出したのが、もうずっと昔のような気がするけれど、パリのブローニュの森の公園だった。自費で、モンペリエで開かれた学会に参加して、その帰りにパリまで足を伸ばして、ちょっとのんびりしてきたのだった。有名な観光名所には人が多くて疲れてしまい、もう陽射しがだいぶ暑くなってきた7月のパリで、どこに行こう…と地図とにらめっこして、ひらめいたのがこの森だった。

とにかくだだっ広い公園をちょっと歩いた後、木陰になったほどよいベンチを見つけると、座り込んで、街で買っておいたバゲットのサンドイッチを頬張り、そのまま、芝生も池も見えるそのベンチで、2-3時間、何もせずに座っていた。

 

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晴れた初夏で、気温は高いけれど、湿度は低いから、風が本当に気持ち良い。ここには蚊もいないし、噂に聞くスリや強盗なども近寄ってくる気配も一切ない。太陽が動くにつれて、木漏れ日がだんだん移動していくのをぼんやり見ながら、座ったり寝転がったりしていた。

最初のうちは、人生について、なんてお決まりのことを難しい顔して考えていたのだけれど、そのうちどうでも良くなって、池で遊ぶティーンエイジャーたちや、ランニングをする老夫婦を、ははあ、と眺めていた。葉っぱのあいだからのぞく空はどこまでも真っ青で、帰る頃にはだいぶ日焼けしたような気分になった。

いまでも、フランスの小説なんかを読んでいて、「ブローニュの森」が出てくると、あの木陰のベンチを思い出す。

 

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もしかしたら、公園のベンチが好きなのかもしれない。

これはもっと昔、大学の受験勉強をしていた頃だった。あまり予備校なんかには行かず、休日や冬休みは自宅で勉強していた。当時、あるいはもしかしたら今でもそうだけれど、実家の部屋にひとり座っていると、わたしは自分が世界から閉じ込められているような気分になって、どうにもこうにも息苦しくなってしまうのだった。

そんなときによく行ったのが、家から歩いて5分くらいの距離にある小さな公園のベンチだった。その公園は本当に小さくて、宅地開発で取り残された1軒分くらいの広さの土地に、申し訳程度にベンチが置いてあり、数本の木が植わっているだけだった。出入り口以外の3方向は住宅の側壁に囲まれ、路地の奥にあるから大人も子供もめったにやってこない。

冬のよく晴れた午前中には、日向にいれば、そこまで芯から凍えるようなことはないから、よく英単語帳を持って、この公園のベンチに座って、背中に陽の光を存分に受け止めながら、単語を覚えていたものだった。自分の頭が単語帳に影を落としているところを、ふと顔をあげて周りを見渡すと、乾いた冬の太陽がきれいな光を投げかけていて、光彩がきゅっと縮むような感覚を覚えるのだった。

わたしがここにいることを知っているのは、世界のなかで、わたしだけ。閉塞感に満ちた実家の部屋やら、受験勉強やらから、ちょっと距離を置いて居られる場所。それがその小さな公園のベンチだった。

 

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雨の日も、曇りの日も、やはり捨てがたいものがあるけれど、からだの芯に積もった埃が溶けていくような感覚は、びしっと晴れた太陽からでなければ、なかなか得られないような気もする。

 

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