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チェコの現代小説いろいろ

今年はふとした縁からチェコとつながり、行ったこともないこの中欧の国についてすこしでも知識を得ようと、チェコの小説を集中的に読んだ時期があった。チェコのことに通じた達人のような人が身近におり、いろいろと教えてもらったことで、情報収集の幅はさらに広がったように思う。この縁は結局、ときのいたずらによって細くなり、COVID-19によって流れが止まってしまったけれど、いつかは必ずチェコに行きたいと思っている。

そんなわけで、このときに読んだチェコの小説などを紹介してみたい。

 

その前に、チェコと言えばなんといってもミラン・クンデラが有名ではないだろうか。一昔前にクンデラの作品にはまった時期があって、『存在の耐えられない軽さ』『不滅』『冗談』などを読みあさった (『不滅』がけっこう好みだった)。そのときはクンデラチェコを結びつけて読んでいたわけではなかった。けれど、後に述べるように、チェコの小説には戦争や支配者に蹂躙された大変な近現代史が色濃い影響を与えていることが多いみたいで、そうした時代背景を理解している今もう一度クンデラの作品を読んだら、感想も変わるかもしれないなと思っている。

それと、SF方面で有名なのはカレル・チャペック。SFはあまり得意ではないので手に取らなかったけれど、『園芸家12ヶ月』は本棚に積まれていて、近いうちに読みたいと思っているところ。

チェコの現代小説を探すにあたって、阿部賢一さんのインタビューを大いに参考にした。このインタビューだけでも非常におもしろくて、一読の価値があると思う。

 

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まず最初に紹介するのは『チェコとスロヴァキアを知るための56章【第2版】』。小説ではないのだけれど、私は明石書店のエリア・スタディーズシリーズに絶大な信頼を置いていて、初めて行く/調べる国のことをよく知ろうと思ったとき、私はまずこのシリーズ『○○を知るための○章』がその国について刊行されているかを調べる。

チェコのことを知る必要があることが判明したその日に、私はこの書籍を取り寄せて購入し、内容をざざっと読んだ。歴史、政治、経済、文化、食、暮らし、自然などを、その分野の専門家が網羅的に解説してくれる本書のシリーズは、特定の国を過不足なく理解するための第一歩として最適である。

後に小説を読みながら、『チェコとスロヴァキアを知るための56章【第2版】』に立ち返り、このところはどうなっていたか……ともっともよく参照したのは、チェコ近現代史を扱ったところだった。チェコは、古くにはオーストリ帝国やハンガリー帝国、第二次世界大戦あたりにはナチス・ドイツ終戦後は共産主義ソビエト連邦など、さまざまな強国の影響を受け、支配されたり独立したりを繰り返しながら現代まで力強く存続してきた。こうした大変な歴史背景が小説にも色濃く影響を与えており、日本語に訳されている多くの作品では、戦争や共産主義の時代の話題が切り離せない物語の核として提示され、被支配の苦しい歴史を乗り越える力にもなってきたと思われるニヒリスティックなユーモアが随所に現れている。

 

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読みやすそうなものということで最初に選んだのは、パヴェル・ブリッチの児童書『天使は夜な夜な舞い降りる』だった。見守るべき人間が眠った後、プラハのとある教会に守護天使たちが集まってくる。彼らはミサ用のワインを傾けながら、愛すべき人間たちについての人間臭いおしゃべりを繰り広げる。無名の人びとから歴史の英雄まで、さまざまな人間の悲喜劇に守護天使がどう関わり、ときに当の人間以上に人情にあふれどこか間の抜けた天使たちが右往左往する様子が愛らしい。人間たちが馬鹿な振る舞いに及んでも守護天使たちは見放すことなく愛を注ぎ、人間たちがまれに「天使のような」振る舞いをするとワイングラスを叩いて感嘆する。

ただ、守護天使たちはすべて男で、人間たちもほとんどが男性 (しかも女性はどこか超然とした役割を与えられる) というジェンダーバランスの偏りが気になった。ともあれ、どの話も最後はハッピーエンドで終わり、読み終わった後にはほっこりした気分が残る。

 

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ジー・クラトフヴィルの『約束』は、プラハに次ぐチェコ第二の都市ブルノを舞台にしたスリリングな物語。共産党体制下のブルノで、建築家のカミル・モドラーチェクは、秘密警察の尋問に愛する人を奪われ、復讐の念に取り憑かれる。さまざまな偶然と機会の重なり合いによって、この復讐は意外な形に変容していき、後半からはまるで別な小説が始まったかのような不思議な物語が続く (安部公房の『方舟さくら丸』を思い出した)。

どのような形であれストーリーをこれ以上具体的に語ると重大なネタバレになってしまうのが心苦しい。けれど、メインの物語にからみあうかたちで、さまざまにビビッドな逸話が挟まれてくる。濡場をフラッシュで抑えることを得意とする探偵のダン・コチーの話、警官同士が互いを階級の敵とみなして無実の処刑をするグロテスクな場面、ブルノの建築、ナボコフの考えたチェスの二手詰めの話などなど。モドラーチェクの構築したユートピアは、社会主義の不完全なユートピアのメタファーになっているのではないかと、そんなことを思ったりもする。

 

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ボフミル・フラバルの『わたしは英国王に給仕した』は、スケールが大きく痛快な物語。貧しい階層出身の主人公ヤン・ジーチェは、プラハのホテルで給仕見習いとして働きはじめる。不条理な支配関係、金持ちたちのグロテスクでユーモラスな低俗さ、コールガールたちの熱情、ビジネスマンたちの金銭欲求など、はじめて触れる世界を、ジーチェは素直な目で見つめる。彼は人間関係の不幸な出来事に見舞われてホテルをいくどか移り、しかしそのたびにホテルの格も上がり、出世していく。

しかし、ナチス・ドイツの台頭と、その後のドイツ人の排斥運動、さらにその後のソ連による支配によって、順調な人生には波乱が巻き起こり、大きな社会の動きに翻弄される。お金や名誉がすべての価値観である世界に浸かり、その価値観に染まりながらも染まりきらないで、きわめて素直に、どこかひょうひょうと世の中をわたっていくジーチェ。彼は、さまざまな経験や社会の変動を経て、自分との対話や心のふれあいや汗して働くということに価値を見出すようになっていく。全編を通して描写される醜い金持ちたちもどこかユーモラスで、好色でニヒルなユーモアにあふれて、登場人物の誰も憎むことができないのだった。

 

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オタ・パヴェルの『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』は、魚釣りにとりつかれた著者の半生を綴るような短編集。子供時代に魚釣り狂の父親やおじさんに感化され、暗い大戦の時代を経て、戦後奇跡的に強制収容所から生還した兄たちと、さまざまな川で明けても暮れても魚釣りをつづける様子。がさつでユーモアの染みついた男たちと、面倒を巻き起こす男たちの後片付けを粛々と進める強い女たち。そしてなによりも、美しいボヘミアの森と川と魚たちの印象が強く心に残って、しみじみと良いなあと思う。

チェコの小説は、ブラックユーモアに溢れたどことなく暗い話が多いような印象をもっていたけれど、『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』を読んで、チェコの小説にあるのはそうした暗い側面だけではないことに思い至った。森深い自然の豊かさ、人間どうしの心温まるやりとり、歴史の大きな流れに巻き込まれながらも力強く生きる人たちなど『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』は、そうした希望に満ちた別の側面をやさしく提示してくれている。

兄貴はそんなぼくに全く気付かず、こうつぶやきさえした。「入れ食いだよ、すばらしく釣れるなあ!」魚を釣り上げるたびに笑い、陽気で、幸せそうだった。犬も幸せそうだった。ずっと彼らを見ていると、不意にわかってきた。兄貴は満足しているのだ。変わりなく魚を釣っていられることに。水辺にいてそのそばを川がめぐり、川向こうには森が広がり、そこでは雉がまた喜びに叫び、湿った土の中からミミズを掘り出して食べている、そういったことに。

 

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最後に、日本語に翻訳された小説を読んでいる以上、なんらかの偏りが生じてしまうのは避けられないことと思う。出版社や翻訳者の選書の好みや、多額の売り上げを獲得しうる人気の潜在性など。私の読んだごく狭い範囲のチェコ小説は、書き手や登場人物のジェンダーバランスが男性優位で、そうでない作品ももっと読んでみたいなと思ったりもしている。しかしなににせよ、いずれの作品もおもしろくて、偶然のなりゆきからチェコの現代小説の新たな世界を垣間見られたことを、実にうれしく思ったのだった。