雨の日にはたまに

のどかにつづる

青い空がきれいで

青空を見上げるのが本当に気持ちよいときがある。実は、空はいつだってきれいなのだけれど、湿度や光の具合や風の強さやら、あるいはわたしの気分なんかが作用して、ことさらに記憶に残ることがある。

それはたとえば、春と言うにはもう暑く、しかし初夏というにはまだだいぶさわやかな昼下がりに、長ズボンの裾をすこしまくって、ふと周りを見渡してみたときだとか、8月の真っ盛りに、冷房のきいた屋内から外に出て、真っ白な光が皮膚に焼きついてきたときだとか。目を細めながら上を向いて、ああ真っ青だ…と、それ以上何を言えばいいのかわからないようなことを思う。

 

------

 

そういうことを思ったのは、ちょうど、6月の北海道で、動物園の芝生広場の白樺の木陰に腰をおろして、お昼を食べているときのことだった。気温は高くて、ひなたを歩いているとすぐに汗がにじみ出てくるけれど、木陰に入るとそよ風がふわふわと当たり、体温と外気温が平衡して、とっても気持ちが良い。

湿度は低くて芝生はしっかり乾いており、服が肌にべたつくこともない。その動物園がある小高い丘からは、木々の緑と空の青が境界をつくるところに、ところどころ市街の白い色が見渡せる。わたしのまわりには白樺の木漏れ日が芝生に落ちて、遠くのほうをのんびりと、家族連れや若い人が歩いている。

 

f:id:nukaduki:20170623094006j:plain

 

お昼に持ってきたのは、ブルーベリーのベーグルとクリームチーズ。どちらも駅前の地産品店で買ったもの。ベーグルはずっしりもちもちとしたわたしの好きなタイプ。クリームチーズはたっぷり1パックが半額になっていたものを、ええいたくさん食べてやれ、と思い切って買ったもの。ゲストハウスのキッチンのフラパンで、半分に切ったベーグルをこんがり温めて、クリームチーズはたっぷり取り分けたのをラップに包んで、つぶれないよう、先ほど食べ終わったティラミスの空き容器に収納して。

ベーグルはまだほんのり温かく、さわやかなクリームチーズが良い風味。白樺のほどよい幹を背もたれに、上を見上げると、新緑の向こうにきれいな青空が見えたのだった。

 

------

 

さらに思い出したのが、もうずっと昔のような気がするけれど、パリのブローニュの森の公園だった。自費で、モンペリエで開かれた学会に参加して、その帰りにパリまで足を伸ばして、ちょっとのんびりしてきたのだった。有名な観光名所には人が多くて疲れてしまい、もう陽射しがだいぶ暑くなってきた7月のパリで、どこに行こう…と地図とにらめっこして、ひらめいたのがこの森だった。

とにかくだだっ広い公園をちょっと歩いた後、木陰になったほどよいベンチを見つけると、座り込んで、街で買っておいたバゲットのサンドイッチを頬張り、そのまま、芝生も池も見えるそのベンチで、2-3時間、何もせずに座っていた。

 

f:id:nukaduki:20170623093745j:plain

 

晴れた初夏で、気温は高いけれど、湿度は低いから、風が本当に気持ち良い。ここには蚊もいないし、噂に聞くスリや強盗なども近寄ってくる気配も一切ない。太陽が動くにつれて、木漏れ日がだんだん移動していくのをぼんやり見ながら、座ったり寝転がったりしていた。

最初のうちは、人生について、なんてお決まりのことを難しい顔して考えていたのだけれど、そのうちどうでも良くなって、池で遊ぶティーンエイジャーたちや、ランニングをする老夫婦を、ははあ、と眺めていた。葉っぱのあいだからのぞく空はどこまでも真っ青で、帰る頃にはだいぶ日焼けしたような気分になった。

いまでも、フランスの小説なんかを読んでいて、「ブローニュの森」が出てくると、あの木陰のベンチを思い出す。

 

------

 

もしかしたら、公園のベンチが好きなのかもしれない。

これはもっと昔、大学の受験勉強をしていた頃だった。あまり予備校なんかには行かず、休日や冬休みは自宅で勉強していた。当時、あるいはもしかしたら今でもそうだけれど、実家の部屋にひとり座っていると、わたしは自分が世界から閉じ込められているような気分になって、どうにもこうにも息苦しくなってしまうのだった。

そんなときによく行ったのが、家から歩いて5分くらいの距離にある小さな公園のベンチだった。その公園は本当に小さくて、宅地開発で取り残された1軒分くらいの広さの土地に、申し訳程度にベンチが置いてあり、数本の木が植わっているだけだった。出入り口以外の3方向は住宅の側壁に囲まれ、路地の奥にあるから大人も子供もめったにやってこない。

冬のよく晴れた午前中には、日向にいれば、そこまで芯から凍えるようなことはないから、よく英単語帳を持って、この公園のベンチに座って、背中に陽の光を存分に受け止めながら、単語を覚えていたものだった。自分の頭が単語帳に影を落としているところを、ふと顔をあげて周りを見渡すと、乾いた冬の太陽がきれいな光を投げかけていて、光彩がきゅっと縮むような感覚を覚えるのだった。

わたしがここにいることを知っているのは、世界のなかで、わたしだけ。閉塞感に満ちた実家の部屋やら、受験勉強やらから、ちょっと距離を置いて居られる場所。それがその小さな公園のベンチだった。

 

------

 

雨の日も、曇りの日も、やはり捨てがたいものがあるけれど、からだの芯に積もった埃が溶けていくような感覚は、びしっと晴れた太陽からでなければ、なかなか得られないような気もする。

 

f:id:nukaduki:20170623093354j:plain