雨の日にはたまに

のどかにつづる

ロヨラアームズの昼食

自分のことを棚に上げて、自分と周りの人間は違うのだという自意識に浸ることができるのは大学生くらいの年代の特権なのではないかと (私自身のn = 1の経験をもとに) 私は思う。周りを見渡すと、ほとんどの同級生はつまらないシステムに盲目的に従い、人生のなかの大事なことを見失っており、読書だって全然しない。自分は大学の授業もそこそこに、おもしろい小説を次から次へと読みあさり、ロシア文学やフランス文学についてあれやこれやと語り明かしたいのに、そういうことのできる同級生は周りにひとりもいない。なんてこったい、ぶつぶつぶつ……。

そのような年代にあって、ごくまれな同好の士との出逢いは何にも増して価値がある。たとえば、たまたま帰りが一緒になったクラスメイトと世間話をしていると、実は相手も文学が好きなことがわかり、最近読んだ小説の話であっというまに時が経つ。そのことで、自分も相手もおたがいに一目置くようになり、他は本当にくだらない友達づきあいのなかで、どこか共犯者めいた、親しげな関係が少しずつ育っていく。

大学生くらいの年代では、こうした状況にライフスタイルの変化があわさってくる。親元を離れてひとり暮らしや寮生活を始め、人生で初めて経験する、誰にも指図されることのない自由と、誰にも気にかけられることのないさみしさが同時に出現する。そのような状況で出逢った同好の士は、無味乾燥で灰色の人生のなかで唯一、暖かな色としっとりした重さを持っている。この相手と過ごす時間は、それが得られるときにはすべてを満たすものとなり、それが得られないときには焦燥が心を灼きつくすものとなる。

 

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スチュアート・ダイベックの短編集『僕はマゼランと旅した』に収録されている「ロヨラアームズの昼食」には、そうした若い頃の乾いた焦燥感と、同好の士との恍惚とした、しかし思い返してみるとどこか恥ずかしい喜びが描かれている。オムニバス的に綴られる11篇のなかで中心的な語り手となるペリー・カツェクは、ポーランド系移民の父親を持ち、シカゴの下町で喧騒にまみれた少年時代を送る。短編の多くは、ペリーが少年から大人に成長していく過程の断片をとらえており、「ロヨラアームズの昼食」は時系列的にもっとも後のほうのペリーの様子を描いているように見える。

大学に入り、親元を離れて貧乏下宿暮らしを始めたペリーは、社会主義系の書店で知り合ったメロディという若い大学生と親しくなる。両者ともに文学に傾倒しており、どこか気取っているものの、交わす会話の端々には、自身の知識やウィットを受け止めて理解してくれる同好の士との語らいの喜びと、そのような得難い相手への感嘆がのぞいている。ペリーとメロディは心だけでなく体も交わらせるようになり、しかしガールフレンド/ボーイフレンドと言うにはどことなく違う、つかず離れずの関係を転がしていく。

彼らはこんな会話を交わす。

「僕は人生を俳句のように生きてるのさ」と僕は言った。「一音節ずつね」
「高校で一番好きだった先生に、あるときレポートのコメントに『毒舌は弱い者の最後の防御策だ』って書かれたわ。それにこのサキソフォン―これってほんとに吹くの、それともただの飾り?」
「沈黙のミュージシャンになる練習をしてるのさ」と僕は、前の晩にマラルメの翻訳書で読んだばかりのフレーズを引用して言った。
彼女はただ、退屈な人間以上に退屈なものがあるとしたら気どった阿呆ね、と言いたげな目で僕を見ただけだった。
彼女が感心していることが、僕にはわかった。

ペリーは、世界の見方と、世界からの逃れ方を同じくするメロディと過ごす夢のような時間に取り憑かれながらも、自分が彼女の存在に囚われていることを、すこし引いた視点から俯瞰している。初めて手にした完全な自由と、あまりに強力なさみしさ。連絡もなくふらりと現れるだけのメロディの不在は、圧倒的なさみしさに変わり、古びたアパートがきしむさまざまな音を聞きながら、彼女が現れない喪失感を抱いて苦悩する自身を見つめつづけることになる。

窓に座ってビールを飲み干し、午後がまだまるごと目の前に広がっていたあのときほど、自分が自由だと思ったときを僕は思い出せない。そして、あのときほど自分が独りだと思ったときも。

思い返せば胸がきゅっとしめつけられるようなこの甘美なさみしさは、形こそ違えど、この短編を読む私にも覚えがあるのだった。

 

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これは自分が出逢ったなかで最高の小説だと思いながら、ダイベックの前作『シカゴ育ち』を読み終わった私は、すこしびくびくしながら、次作となる『僕はマゼランと旅した』を読みはじめた。これが前作に比べて全然ひびかなかったらどうしょう……。そんな心配もあって、ずっと前に購入していたものの、『僕はマゼランと旅した』は長らく本棚の奥に積まれていた。しかし、はじめに収録された短編を読み進めてすこししたところで、そんな心配は無用だったという安堵と、前作以上の感嘆が私を包んだ。

ダイベックは、シカゴの下町の、それも特にハイソなところとは正反対の世界を描く。貧しい移民たち、おんぼろの自動車、喧嘩や犯罪、アルコール中毒、薬物、安いセックス、などなど。そのような喧騒に満ちた世界を描きながらも、物語がどこか安らかでユーモラスな色彩を帯びているのは、子供や青年の目を通じて、そうした世界が記述されているからなのかもしれない。『僕はマゼランと旅した』では、そうした喧騒のさなかで大人になっていきながら、その一方で、そうした喧騒を一歩引いて眺めることのできるペリーの目を通じて、多くの物語が語られる。

ペリーが「ロヨラアームズの昼食」よりも小さかった/若かったときの場面には、たとえば、弟のミックと夜ベッドに入ってひそひそ声で子供たちだけの世界を作りあげていく様子だとか、高校卒業前後の悪友と秘密の場所を共有する愉しさだとか、これは確かに私も昔やったたことがある! といった懐かしさを感じるものが多い。かなたに忘れられていたそのような若い頃の記憶をみずみずしくほじくり出してくるダイベックのすばらしい文才は、『シカゴ育ち』のときと同じく、『僕はマゼランと旅した』でも健在なのだった。

『僕はマゼランと旅した』には、オカルティックな思想に傾倒していく憎めない弟のミック、厳格な堅物だがどことなく哀愁漂う父親のサー、戦争で精神を病んだサックス奏者の叔父レフティルチャドール崩れのテオなど、それぞれに個性的で魅力的な登場人物が現れる。主な語り手のペリーだけでなく、そうした人びとの送るさまざまなままならない人生と、そこからいまだに生まれ出る物語とが、シカゴの下町の喧騒と混じり合って、この独特の雰囲気を紡ぎ出している。

私はシカゴはおろか米国に行ったこともないのだけれど、ダイベックの小説を読んで、シカゴという街のことをよく知っているような気になっている。

 

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翻訳者の柴田元幸さんはあとがきでこんなことを書かれている。

いつも大好きな作品しか訳さないので、校正刷りをくり返し読むなかで飽きてくるなどということはあったためしがないが、それにしても、こんなに読めば読むほどその素晴らしさをますます実感できた作品も珍しい。一人でも多くの方にその実感を共有していただけますように。

私もこの意見に大賛成で、そのようなわけで、チェコの小説の紹介などと迷ったすえ、今年読んで本当に感嘆した『僕はマゼランと旅した』について、海外文学・ガイブン Advent Calendar 2020に文章を書こうと思った次第。