雨の日にはたまに

のどかにつづる

サマーハウスの夏休み

サマーハウスはデンマークの人びとのアイデンティティに強く結びついていると以前読んだことがある*1。サマーハウス (sommerhus) はホリデーホーム (feriehus) とも呼ばれ、休暇を過ごしに行く別荘のようなところ。ただし、こじんまりとして質素で比較的狭く、自然を尊ぶ価値観のもとに建築されている (とはいえ、最近は必ずしもそうではないらしい)。

 

2018年の統計*2によると、人口約590万人のデンマーク国内には約20万軒ものサマーハウスがあり、そのほとんどが海岸線から数キロメートル以内の距離にある*3デンマークではサマーハウスの所有権は代々受け継がれることが多いようで、家族が一堂に会する重要な場所になっているそうな。こうしたサマーハウスの一部 (25%程度) は貸し出されており、主にドイツからの観光客が借りているという統計結果が出ている (サマーハウスを借りる人のうちドイツ人は全体の約60%、デンマーク人は25%)*2。貸し出しは通常1週間単位でなされる。

 

わたしたちの所属するコペンハーゲン大学では大学所有のサマーハウスを比較的安価 (1日あたり1万円くらい:デンマークの宿泊事情からするとこれでもかなり安い) で構成員に貸し出しており、学生、職員、教員であれば抽選に参加することができる。日本のお盆と同じ時期の1週間に狙いを定め、いくつか泊ってみたい場所を候補に入れて抽選に申し込んだところ、スケーエン (Skagen) という場所にある第1希望のサマーハウスの予約を取ることができた。以下では、サマーハウスで休暇を過ごしてそのすばらしさを存分に体感した8月の1週間のことを書いていく。

 

デンマークの最北端

スケーエン (Skagen) はデンマーク本土の最北端にあり、ユトランド半島の北に突き出したツノのような部分に位置する。19世紀には印象派の画家たちの拠点になったほか、たくさんの種類の野鳥が見られることでも有名。わたしたちの住むコペンハーゲンからは、4時間かけて電車でオールボーまで行き、そこからさらに電車を乗り継いで2時間かかる。実は2022年の年末に1日だけスケーエンを訪れていたものの、冬季のため公共交通機関は本数が少なく、冷たい風に体力を削られ、存分に楽しむことができなかった。しかしそれでも、夏に来たらどんなにすばらしいだろうかということを十分に想像でき、今回、夏のとても良い時期に再訪の願いがかなったのだった。

冬のスケーエン

 

夏のある日、朝早くコペンハーゲンの自宅を出て、中央駅から電車に乗り込み、退屈した子供の相手に疲弊しつつ、合計6時間かけて、終点からふたつ前のサマーハウスのある駅に降り立った。オールボーで遺跡を見に行ったりしていたので時刻はすでに夕方で、無人駅を出ると通りにはほとんど誰もおらず、林と、そのなかに点在するサマーハウスが広がっていた。

 

家のなかは、全体的にセンスのとても良いデンマークおうちの見本みたいな様子で、素朴でシンプルだけれど居心地が良さそうで (実際とても良かった)、内部に入って、思わずため息が出た。庭はそのまま周囲の林とつながっていて、紫の花が一面に咲いており*4、木立の向こうにうっすら見える隣のサマーハウスとは、どこからどこまでが双方の敷地なのかほとんどわからなかった。この時期のデンマークは日が長く、21時くらいに日没となる。夕方の薄ぼんやりした光の下で、もこもこと植物が生え、紫の花が一面に広がる庭を眺めながら夕食を食べていると、翌日から始まる休暇の本番への期待で電車旅の疲れが溶けていくような気分になった。

室内の様子

 

真剣な夏休み

翌日からは本当によく遊びよく休んだ。デンマークらしくサマーハウスには各種サイズの自転車が置いてあり、チャイルドシートにLを載せて (子供用のヘルメットだけ中古の安いのを買って持っていった)、Rと一緒にあちこち森のなかを走ったり、町まで出たり。ついつい長く外に出て、しばしばお昼のタイミングを逃してしまい、適当に持ってきた食材を食べたり、町にいたときにはおやつを食べたりした。

サマーハウスの庭

 

家の近くにはスーパーなどがないため、買い出しをした後の適当な頃合いに帰ってきて、家ではオーブン焼きなんかの手抜き料理を作ってみんなで食べた。気温は20℃に上がればいいほうで、曇っていたりするとフリースを着ないと寒かったけれど、そのぶん暑さに悩まされるということはなかった。疲れたり天気が悪かったりしたら家のなかや庭でくつろぎ、フライパンでポップコーンを作ったり、ふだんあまり見ない映画なんかも見たりした。Lは本棚に置いてあった漫画に熱心に見入り、大人たちは持ってきたPCもあまり開かず、いろいろなおしゃべりをした。

線路

 

勝手の違うキッチンと系列の違うスーパーで、作る食事もいつもと違うものになる。休日感を堪能したくて、いつもは買わない塊のサラミや冷凍クロワッサンなんかも買ってみたりする。存分に眠り、朝方はだいぶ冷え込む家で、北欧のホテル風の朝食を作って食べていると、だんだん晴れて外がきらきらしてきて、さあ今日も散歩に出よう、というわくわくした気持ちが膨れてくるのだった。

 

休暇をとっているので意図して仕事をしないようにしたのもあったけれど、こんなにすてきな自然に囲まれた居心地の良い家のなかにいて、RやLといつも一緒に過ごしていると、研究費の申請書類の直しやメールの返信は自然とする気がなくなってくる。お盆だから大丈夫かと思って「休暇中です」というメールの自動返信を設定しなかったけれど、日本の研究者たちからはお盆休みも関係なく次々にメールが来て、ああ返事をしなければ……と休暇への集中が低下した。それだけが本当に唯一の心残りになっている。自分の休暇観・仕事観がいつのまにかデンマーク化されていることに気がついたけれど、日本では非人間的な長時間労働・土日勤務が構造的に半ば強制されてしまっていることが本当に悲しい。

森の中の道



あるときには、真夜中に外に出て歩いたことがあった。街灯の明かりなどはまったくなく、点在するサマーハウスの家も明かりが消えており、懐中電灯が手放せなかった。空にはきれいな星空が広がっていた。

 

名所など

スケーエンには名所がいくつかあり、冬に来たときには行けなかったところにも電車や自転車でアクセスできた。

 

グレーネン (Grenen) はスケーエンの北端に突き出した砂浜で、数キロメートル歩いた先端では、文字通り陸地が尽きており、西からは北海、東からはバルト海がやってきて混ざり合っている。日中は観光客でいっぱいになる場所なので、朝早めの時間に、電車に自転車を積んで出かけ (デンマークでは自転車を畳まないでそのまま電車に載せられ、専用のスペースもある)、最寄りのSkagen駅からは自転車を走らせて砂浜に向かった。朝9時過ぎに着くと人はまばらで、デンマークの北の先端部を存分に楽しむことができた。珍しい形の貝殻や石を探しながら歩いた。しっとりとした砂浜はもはや冷たく、裸足で歩くと体が冷えた。

グレーネンの先端部

 

移動する砂丘 (Råbjerg Mile) は、範囲約2平方キロメートル、最大の高さ40メートルにおよぶ砂丘で、風に吹き流されて毎年15メートルずつ北東に移動している*5。はじめは風下を訪れ、林や平原の広がる風景のなかに突如巨大な砂丘が現れる光景に面食らった。夜間に雨が降っており、風の弱い日だったため、砂丘にはなんなく登ることができた。風に吹かれて砂の表面にはさまざまな模様ができており、丘の上に登ると遠くまで広がる平らな平原と林が見えた。その次に訪れた風上のほうは圧巻だった。自転車で林のなかを1時間ほど走り、砂丘のサイドに到着。細い道を歩いて砂丘の上に登ると、砂丘の風上、つまり、これまでの何十年から何百年ものあいだに砂が荒廃させてきた土地には、ほぼまったく木がなく、高山植物のようなちりちりした花や草が生えた美しい沼地が、見渡す限り遠くのほうまで広がっていた。砂丘の風上側に降りてみると、前にはその沼地、背後には背の高い砂の塊があり、遠近感がおかしくなるような気がした。

移動する砂丘 (風上側)

 

灯台にもたくさん訪れ、だいたいは登ることもできた。登れる灯台、大好き。灰色灯台 (Det Grå Fyr) は円柱形のシュッとした形が美しく、夏のあいだだけ開放されている。先端まで登るとデンマークの強い風が吹き抜けており、光源の部分はきらきらと美しかった。併設の博物館では砂の特別展が開催されていて、手作り感があふれるけれどセンスが良く多面的な展示が広がっていた。さらに併設のカフェは居心地が良く、重要なことに料理が非常に美味しかった。お値段こそデンマーク価格だったけれど、マヨネーズの含まれる複雑な味のソースでキャベツがこんなごちそうになるなんて!とか、サワードウパンのこの完璧さ!といったすばらしい料理で、寒さが和らぎ空腹が満たされた。

灰色灯台

 

電車に乗ってレンタカーを使って、けっこう遠出をして訪れたルビャオ・クヌード灯台 (Rubjerg Knude Fyr) は、砂に飲み込まれた灯台だった。風の強い北海沿岸の砂丘を1キロメートルほど歩くと、ときどき砂嵐でまともに目を開けていられないような場所に現れた幻かと思うような、四角い灯台がぽつんと建っていた。中は登ることができるようになっており、砂が詰まり細かな傷がつき、あらゆるところに入り込み荒廃させていく砂の威力をまざまざと感じた。そして、この灯台が建つ砂丘は、実は海に侵食されて毎年少しずつ削れている。海に崩落する危険を先延ばしするため、2019年に大工事が行われて、灯台は内陸に70メートル移動したそうな*6灯台のてっぺんから見ると、かつて建っていた場所の基部と思われる石組みが砂丘の端でまさに海に落ちようとしており、そのあたりに行って海をのぞきこむと、砂に荒い波が打ちつけているのがはるか下方に眺められた。砂と海と人間の建造物と、それらのダイナミックな相互作用が鮮烈な印象を残した。

ルビャオ・クヌード灯台

 

休暇の終わり

始まったときには有り余るほどの時間があるように思われたけれど、気がつくと休暇は終わりに近づいていた。最終日の前日の午後にサマーハウスの掃除を済ませ、翌朝ごはんを食べて家を出るときには、このサマーハウスとスケーエンに対する名残惜しい気持ちとともに、休暇によって満たされた温かな心の存在を強く感じた。サマーハウスにはデンマーク人の大切にするHygge (居心地がよくリラックスしていること) があるというけれど、この心の温かみがそれなのだな。

 

途中のオールボーで美術館を見学し、コペンハーゲンに戻る4時間の電車に昼過ぎに乗車した。電車のなかで、一日一日を大切に思い出しながら何をしたかを反芻し、果たしてこれほど真剣に遊びこれほどしっかり休んだ休暇はいつぶりだったろうか……ということを考えた。来年の夏はもうデンマークにいないけれど、またいつか、デンマークのサマーハウスで夏を過ごすことができると良いな。

 

*1 デンマークの誇る著名な建築家Jørn Utzon (シドニーのオペラハウスを設計した人) を記念して建てられた博物館「Utzon Center」で開催されていたサマーハウスの特別展「HOLIDAY HOME」で、この文言を見たと記憶している。

*2 Sommerhuse i Danmark | Danmarks Statistik

*3 一次データを見つけられなかったものの、2015年の統計では、サマーハウスの93%が海岸線から2.5 km以内の距離にあるという結果が出ていたらしい。
Doing summer the Danish way | CPH post

*4 後日、灰色灯台 (Det Grå Fyr) でも同じ花が活けられているのを見て、Rが受付のお姉さんに尋ね、ヘザー (heather, Calluna vulgaris) という名前であることがわかった。林が途切れて苔の広がる平原になっているところでは、ヘザーとハナゴケがどこも一面に広がって満開になっていた。

 

*5 Råbjerg Mile | Danmarks Største Vandreklit

*6 Rubjerg Knude Fyr | VisitNordvestkysten