雨の日にはたまに

のどかにつづる

フェロー諸島のMykines島

イースターの後の4週目の金曜日はデンマークの祝日「大祈祷日」で、保育園もお休みになる。その週の月曜もメーデーでお休み。日本はGW真っ最中だし、保育園に子供を預けられなければ仕事もできないし、ということで、以前から行きたかったフェロー諸島に旅行に行ってきた※1


フェロー諸島でもっとも有名なのは、おそらく、そのユニークで壮大な景観ではないかと思う。玄武岩を主とした火山性の地質で、大きな険しい崖が海からいくつも切り立っているような地形をしている。暖流の影響で冬でも温暖な一方、海流は強くて海は厳しく、強い風や濃い霧に阻まれて島に出入りできず、群島が孤立することもしばしば。さながら (ヨーロッパから見た) 「世界の果て」といった様相を呈している。


そのフェロー諸島のなかでもさらに「果て」にあるのがMykines島。群島の最西端にあり、面積は10平方km。島の公式のサイトによると、年間を通じて居住する人の数はわずか11人で、年間のうち8ヶ月間はヘリコプターのみが島への出入り手段になるとのこと。しかし、5-8月は1日に2度フェリーが発着し、世界中から観光客が訪れるにぎやかな場所に変わる。私たちはちょうど5月1日に島に渡り、2泊して帰ってきた。

A sheep in Faroe Islands

 

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Mykines島には、フェロー諸島の魅力を凝縮したような壮大な景観と、ラムサール条約の登録地にもなっている海鳥の群生地がある。空港のある島からフェリーに乗って45分、まだまだ寒い船内で、荒波がばしゃばしゃ窓にかかってくるなか、島に向かった。わたしたちのほかに乗客は地元の人ふたりだけ。Mykines島はごつごつした海岸線から急な崖がそそり立っていて、船のつける場所も限られているみたいだった。小さな港に入っていくと、午前の便で島に来て1日を堪能した観光客たちがずらりと待っていて、出迎えられるような感じで船から出て行った。船着場からはそのまま急な階段が50 mほど上に続いており、スーツケースなどは巻き上げ機で上まで引き上げてくれた。階段を登りきると、スパッと切られたような100 m以上の高さがありそうな急な崖や山、青々と生える牧草、そこかしこに点在する羊たちが見えた。風は冷たく、春めき始めたコペンハーゲンよりずっと寒かった。

Ferry port of Mykines

 

数分歩くと島の中心部に到着し、屋根にも芝生の敷き詰められた丈の低いかわいらしい家々が並び、山から降りてきた水が川になって流れている集落が目の前に開けた。そのうちの手作りの一軒家が宿で、中に入ると床暖房で暖かく、木目調の家やインテリアは細部にもこだわりが感じられて、ロフトもあったりして、居心地が良さそうだった。もう19時くらいになっていて、今日いちにち気疲れしたこともあって※2、シャワーを浴び、持ってきた食材で簡単なごはんを作り※3、すぐにロフトに上がって眠った。緯度が高いためなかなか暗くならず、22時に布団に入ったときでも、外はまだやっと夕方になったような明るさだった。ちなみに、島には自動車の走れるような広い道がなく、バギーカーのような小さな車で重い荷物を運んでいた。

Village in Mykines

 

そのような感じで2泊を過ごした。散歩に出るとどこを向いてもすばらしい景色で、生まれたばかりの子羊が草原を駆けており、ずーっと向こうのほうまで続く草原は山や崖のところでスパッと終わっている。歩いていくとけっこう遠いけれど、そうした島の「きわ」は垂直に落ち込んで高さ数10 m以上の崖になっていて、カモメが気流に乗って飛び上がってくるのがたまに見える。もちろん怖くて「きわ」まで行くことはできないけれど、なんとなく、大西洋の荒い海が硬そうな岩場で砕けている様子がはるか下方にすかして見られるのだった。

Cliff edge of Mykines


この島に来た目的のひとつは、パフィン (ツノメドリ) を見ることだった。パフィンは冬季には海上で過ごし、春になると北方圏の沿岸部にやってきて繁殖する。Mykines島はパフィンの重要な営巣地になっていて、4月から9月くらいまで見られるとのことだった。宿のオーナーによると、すでにパフィンがやってきているとのことで、どのくらいいるのだろう、と、半分は見られなかったときの落ち込みを予期しながら向かった。島の西側の崖の上には大きな営巣地があるそうで、2日目、午前の船でやってきたほかの観光客とともに、牧草地を登って崖の稜線まで上がった。すると、すでにそこかしこにパフィンがおり、草の上で休んでいたり、パタパタと海の上まで飛んでいったりする様子が見えた。

Flying puffins in Mykines

 

鳥たちをおどかさないよう、静かにゆっくり歩き、決められた道から外れないようにしながら先に進む。崖の先端部はひときわ小高い丘になっていて、小さな広場があり、太陽が正面から射すわりに風が直接当たらないせいか、とっても温かかった。その周辺にたくさんのパフィンがおり、子供が疲れて眠そうにしていたこともあって、その広場に腰をおろしてしばし休んだ。すると直に子供は眠ってしまい、切り立った崖の上で、ひなたぼっこをしながら間近にパフィンたちを眺めるだけのすばらしい時間が訪れた。パフィンたちは何千羽もいて、オレンジのくちばしとちょこんとした目、水かきのあるオレンジの足で緑の草原をパタパタと歩く様子、ふわりと飛び立っていく様子、何百羽ものパフィンが空を飛び交う様子は、いつまで見ていても飽きなかった※4

Puffins in Mykines

A puffin in Mykines


2時間ほどすると子供が起き、崖を下って中心部に戻った。その後、子供はブランコで遊んだりして楽しみ、午後のフェリーで島を出た。行きの日はたまに強い雨の降る曇天だったけれど、次の2日間は晴天で比較的暖かかった。天候によっては外を歩いたりもできなくなるし、海が荒れて視界が悪くなるとフェローが欠航することもよくあるようで、運が良かったなと思う。その後数日、レンタカーを借りていろいろ周り、フェロー諸島最高峰の山道のすばらしい景色を眺めたり、遠くの静かな村でヴァイキングの遺跡を見たり、とにかく高い物価 (あるいは日本の安すぎる賃金とひどい円安) に辟易したりしながら、これまで見たこともないような景色を見て、想像もしなかったような人びとの暮らしがあることを知った。そうした話もまたどこかで書ければ良いなと思う。

Cliff in Mykines

 

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飛行機に乗ってデンマークに戻り、ほっとしながら家で眠ったその晩、パートナーはたくさんのパフィンが目の前で飛び交う夢を見たと言っていた。そうした唯一無二の経験をした一方で、パフィンは人間の影響で生息数を減らしており、フェロー諸島では生活のなかに観光客が踏み込んでくるのを快く思わない人も多いことも知った。また、壮大な自然が多く残る「世界の果て」で、排気ガスを撒き散らしながらただ観光のためにレンタカーを走らせることの愚かさにも思いを巡らせた。自然、生活、環境、そんないろいろなことについて、まったく新たな経験をした旅行となった。

View near Eiði, Faroe Islands

 

※1
フェロー諸島デンマーク自治領で、ノルウェーアイスランドスコットランドの中間くらいにぽつんと浮かぶ18の島からなる群島。デンマーク大使館の情報によるとフェロー諸島全土の面積は約1400平方kmと比較的小さいけれど (例えば東京23区の面積は約620平方km)、海岸線は1100 kmにも及ぶそう (例えば東京-大阪間の直線距離が400 km)。人口は約5万人。

※2
現地の観光案内がほとんどなく、様子がまったく想像できなかったので、飛行機の着く時刻とフェリーの出発する時刻に余裕を持たせて、6時間を静かな街でつぶした (それ以外の選択肢は30分でフェリー乗り場まで移動するかしかなかった)。街中にはかろうじて1軒カフェがあり、そこでブランチを食べながら2-3時間ぼんやりした。しかし子供はすぐに退屈し、その相手で気疲れする。まだ半分以上の時間を抱えたままフェリー乗り場まで移動したものの、待合所のようなものは一切なく、ここでもかろうじて開いていたローカルな商店に入ってイートインでまた2-3時間を過ごした。退屈した子供の相手でさらに気疲れ。ところが実際は、飛行機、公共バス、フェリーの時間が連動していて、空港から直接行けば島には午前中に渡れたのだった。

※3
Mykines島には小売店がなく、1軒あるレストランはそうとうに価格が高い (というよりフェロー諸島全体が物価が非常に高い) ことが予想されたので、食材をすべて持っていってごはんを作る作戦に出た。そのための食材をフェロー諸島についてから購入したけれど、なんと棚に並んでいたものはデンマークでよく行くノルウェー系のスーパーとほとんど同じで、種類はより少なく、価格は1.2-1.5倍くらいだった。野菜はだいたいがしなびていた。泣く泣く購入して島に渡ったけれど、たぶん、デンマークで食材などすべて購入してスーツケースに詰めて持っていき、直通のバスですぐに島に渡ってしまうのが正解だった。なお、島に入り土地を歩くには入島料がかかる。

※4
この先にはMykineshólmurと呼ばれる小島があり、その先端には (写真で見るかぎり) 見事な絶景に灯台が建っている。本当はここまで行ってみたかったけれど、地すべりで道が封鎖されているという情報がウェブサイトに載っていたことと、この崖を降りる道が険しくて子連れではまず不可能だったことから、灯台は遠くから眺めるだけで満足することとなってしまった。