雨の日にはたまに

のどかにつづる

カレン・ブリクセン

『七つのゴシック物語』

2021年にデンマークにやってくるにあたり、紙の小説のほとんどは日本に置いてきてしまったのだけれど、もうだいぶ前に読んで内容もかなり忘れてしまった小説を数冊だけ持ってきた。そのなかのひとつが『七つのゴシック物語』(白水Uブックスの2巻に分かれた『ピサへの道』と『夢みる人びと』) で、これは、1934年に出版された、カレン・ブリクセン (イサク・ディーネセン) の最初の作品の日本語訳。カレン・ブリクセン (Karen Blixen) は、20世紀のデンマークを代表する作家で、わたしがもっとも大好きな小説家のひとり。

 

ブリクセンの作品は、しっかり精緻につくりこまれた正統派の物語であると思う。高貴な文体と見事な起承転結で、もはや過ぎ去ったきらびやかな時代が物静かに語られる。物語のなかにさまざまな人物が創り出され、鮮やかなストーリーテリングには目を見開き、考えてもみなかった結末を知ったあとで改めてゆっくりと物語を読み返したくなる。とはいえ、『バベットの晩餐会』は本棚のどこかに紛れ込んでしまい、『冬物語』は電子書籍で持っており、『アフリカの日々』は渡航前にちょうど読んだ。そんなわけで、目についた『七つのゴシック物語』を持ってきたのだった。

 

『七つのゴシック物語』は19世紀のヨーロッパを舞台にした7つの物語集で、高貴な文体と見事な起承転結というブリクセンの特徴がよく現れているように思う。異なる視点と偶然がクライマックスに向かって融け合っていき、読み終わったあと思わず感嘆のため息をついてしまう。最初に読んだのは8年前で、今回はこの物語の書かれたデンマークで再読して (語られたのはアフリカかもしれないけれど)、ほとんどの物語は初めて読むように楽しめた。7つの物語のうちのひとつの「詩人」は特に印象深かったらしく、結末をある程度思いだしただけでなく、8年前に感嘆してメモをとっていたところと同じところで今回もメモをとっていた。夜明け前の澄んだ空気のなかで、オルゴールの音が窓から漏れ聞こえ、豪華なシャンデリアに載せられたろうそくの灯りのもとで、驚くべき光景が盗み見られる……。この場面には震えた。

 

あのおんどりが死んだのは
めんどりのせいではなかったよ
緑の庭で鳴いていた
夜ウグイスのせいなのだ

 

それと、デンマークで1年を暮らしたことで、物語のなかの情景を目の前に浮かべられるようになっていた。暗く寒い冬の、エルシノーアとコペンハーゲンのあいだをむすぶ海岸や森の様子 (「エルシノーアの一夜」)、暗い冬が終わって世界が生まれ変わったかのような明るく生命力にあふれた5月の夜の様子 (「詩人」)。内容をほとんど忘れていたこともあって、別な自分が新たな物語を楽しんだような喜びがあった。

 

デンマークの冬の森

寒々とした冬の海

夏の森

Rungstedlundのカレン・ブリクセン博物館

コペンハーゲンから電車に乗って北に30分ほど行ったRungstedには、カレン・ブリクセンの住んだ家があり、現在そこは博物館「Karen Blixen Museum」となっている。電車を降りて海のほうに向かって気持ちのいい森を抜けていくと、白い壁と赤い屋根のすてきな家が見えてくる。

 

家の内部も居心地が良さそうで、ブリクセンの書斎は緑色の優雅な空間になっている。冬は海風が吹きつけて屋内も寒くなるけれど、海側から部屋や廊下で隔てられたこの書斎が、家の中でもっとも暖かい場所だったのだそうな。

 

台所にはお約束のメニュー表が貼ってあった。調理器具や食器のコレクションもすてきで、そこだけ別な展示のようになっていた。

 

2階にあがると広間や寝室があり、ファッションや身なりに情熱を注いだブリクセンの性格がうかがえるような雰囲気に満ちていた。2階の一部はなにかのパーティに使われており、立ち入ることができなかったけれど、こんなところで会食などしたら本当にすてきだろうなと思う。日本に比べてはるかに物価の高いデンマークのなかでもやや高価な部類ではあったけれど、併設のカフェ/レストランでお昼を注文すると、良い素材を丁寧に調理したすばらしい料理がでてきた。

 

ところで、展示を観ていると、老年のブリクセンは「自分に服従すれば成功を約束してやる」と若い男性詩人を囲ったものの、この野心的で数奇な関係は、詩人が家を出ていくことで終わりを告げた、といったことが書かれていた。なんだそれは、そんな小説みたいなことが現実にあるのか。そうと思っていると、まさにこのふたりの関係を取り上げた映画『The Pact』が2021年に公開されていたことを知った。これはぜひ観なければと思いつつ、ブリクセンの作品をもとにした映画『バベットの晩餐会』も『愛と悲しみの果て』も、まだ観られていない状況が続いているのだった。来年こそは観たいな。

 

帰りには森のなかを通り抜けて、ブリクセンのお墓にも足を運んだ。墓石の上には花束が供えてあった。