雨の日にはたまに

のどかにつづる

サマーハウスの夏休み

サマーハウスはデンマークの人びとのアイデンティティに強く結びついていると以前読んだことがある*1。サマーハウス (sommerhus) はホリデーホーム (feriehus) とも呼ばれ、休暇を過ごしに行く別荘のようなところ。ただし、こじんまりとして質素で比較的狭く、自然を尊ぶ価値観のもとに建築されている (とはいえ、最近は必ずしもそうではないらしい)。

 

2018年の統計*2によると、人口約590万人のデンマーク国内には約20万軒ものサマーハウスがあり、そのほとんどが海岸線から数キロメートル以内の距離にある*3デンマークではサマーハウスの所有権は代々受け継がれることが多いようで、家族が一堂に会する重要な場所になっているそうな。こうしたサマーハウスの一部 (25%程度) は貸し出されており、主にドイツからの観光客が借りているという統計結果が出ている (サマーハウスを借りる人のうちドイツ人は全体の約60%、デンマーク人は25%)*2。貸し出しは通常1週間単位でなされる。

 

わたしたちの所属するコペンハーゲン大学では大学所有のサマーハウスを比較的安価 (1日あたり1万円くらい:デンマークの宿泊事情からするとこれでもかなり安い) で構成員に貸し出しており、学生、職員、教員であれば抽選に参加することができる。日本のお盆と同じ時期の1週間に狙いを定め、いくつか泊ってみたい場所を候補に入れて抽選に申し込んだところ、スケーエン (Skagen) という場所にある第1希望のサマーハウスの予約を取ることができた。以下では、サマーハウスで休暇を過ごしてそのすばらしさを存分に体感した8月の1週間のことを書いていく。

 

デンマークの最北端

スケーエン (Skagen) はデンマーク本土の最北端にあり、ユトランド半島の北に突き出したツノのような部分に位置する。19世紀には印象派の画家たちの拠点になったほか、たくさんの種類の野鳥が見られることでも有名。わたしたちの住むコペンハーゲンからは、4時間かけて電車でオールボーまで行き、そこからさらに電車を乗り継いで2時間かかる。実は2022年の年末に1日だけスケーエンを訪れていたものの、冬季のため公共交通機関は本数が少なく、冷たい風に体力を削られ、存分に楽しむことができなかった。しかしそれでも、夏に来たらどんなにすばらしいだろうかということを十分に想像でき、今回、夏のとても良い時期に再訪の願いがかなったのだった。

冬のスケーエン

 

夏のある日、朝早くコペンハーゲンの自宅を出て、中央駅から電車に乗り込み、退屈した子供の相手に疲弊しつつ、合計6時間かけて、終点からふたつ前のサマーハウスのある駅に降り立った。オールボーで遺跡を見に行ったりしていたので時刻はすでに夕方で、無人駅を出ると通りにはほとんど誰もおらず、林と、そのなかに点在するサマーハウスが広がっていた。

 

家のなかは、全体的にセンスのとても良いデンマークおうちの見本みたいな様子で、素朴でシンプルだけれど居心地が良さそうで (実際とても良かった)、内部に入って、思わずため息が出た。庭はそのまま周囲の林とつながっていて、紫の花が一面に咲いており*4、木立の向こうにうっすら見える隣のサマーハウスとは、どこからどこまでが双方の敷地なのかほとんどわからなかった。この時期のデンマークは日が長く、21時くらいに日没となる。夕方の薄ぼんやりした光の下で、もこもこと植物が生え、紫の花が一面に広がる庭を眺めながら夕食を食べていると、翌日から始まる休暇の本番への期待で電車旅の疲れが溶けていくような気分になった。

室内の様子

 

真剣な夏休み

翌日からは本当によく遊びよく休んだ。デンマークらしくサマーハウスには各種サイズの自転車が置いてあり、チャイルドシートにLを載せて (子供用のヘルメットだけ中古の安いのを買って持っていった)、Rと一緒にあちこち森のなかを走ったり、町まで出たり。ついつい長く外に出て、しばしばお昼のタイミングを逃してしまい、適当に持ってきた食材を食べたり、町にいたときにはおやつを食べたりした。

サマーハウスの庭

 

家の近くにはスーパーなどがないため、買い出しをした後の適当な頃合いに帰ってきて、家ではオーブン焼きなんかの手抜き料理を作ってみんなで食べた。気温は20℃に上がればいいほうで、曇っていたりするとフリースを着ないと寒かったけれど、そのぶん暑さに悩まされるということはなかった。疲れたり天気が悪かったりしたら家のなかや庭でくつろぎ、フライパンでポップコーンを作ったり、ふだんあまり見ない映画なんかも見たりした。Lは本棚に置いてあった漫画に熱心に見入り、大人たちは持ってきたPCもあまり開かず、いろいろなおしゃべりをした。

線路

 

勝手の違うキッチンと系列の違うスーパーで、作る食事もいつもと違うものになる。休日感を堪能したくて、いつもは買わない塊のサラミや冷凍クロワッサンなんかも買ってみたりする。存分に眠り、朝方はだいぶ冷え込む家で、北欧のホテル風の朝食を作って食べていると、だんだん晴れて外がきらきらしてきて、さあ今日も散歩に出よう、というわくわくした気持ちが膨れてくるのだった。

 

休暇をとっているので意図して仕事をしないようにしたのもあったけれど、こんなにすてきな自然に囲まれた居心地の良い家のなかにいて、RやLといつも一緒に過ごしていると、研究費の申請書類の直しやメールの返信は自然とする気がなくなってくる。お盆だから大丈夫かと思って「休暇中です」というメールの自動返信を設定しなかったけれど、日本の研究者たちからはお盆休みも関係なく次々にメールが来て、ああ返事をしなければ……と休暇への集中が低下した。それだけが本当に唯一の心残りになっている。自分の休暇観・仕事観がいつのまにかデンマーク化されていることに気がついたけれど、日本では非人間的な長時間労働・土日勤務が構造的に半ば強制されてしまっていることが本当に悲しい。

森の中の道



あるときには、真夜中に外に出て歩いたことがあった。街灯の明かりなどはまったくなく、点在するサマーハウスの家も明かりが消えており、懐中電灯が手放せなかった。空にはきれいな星空が広がっていた。

 

名所など

スケーエンには名所がいくつかあり、冬に来たときには行けなかったところにも電車や自転車でアクセスできた。

 

グレーネン (Grenen) はスケーエンの北端に突き出した砂浜で、数キロメートル歩いた先端では、文字通り陸地が尽きており、西からは北海、東からはバルト海がやってきて混ざり合っている。日中は観光客でいっぱいになる場所なので、朝早めの時間に、電車に自転車を積んで出かけ (デンマークでは自転車を畳まないでそのまま電車に載せられ、専用のスペースもある)、最寄りのSkagen駅からは自転車を走らせて砂浜に向かった。朝9時過ぎに着くと人はまばらで、デンマークの北の先端部を存分に楽しむことができた。珍しい形の貝殻や石を探しながら歩いた。しっとりとした砂浜はもはや冷たく、裸足で歩くと体が冷えた。

グレーネンの先端部

 

移動する砂丘 (Råbjerg Mile) は、範囲約2平方キロメートル、最大の高さ40メートルにおよぶ砂丘で、風に吹き流されて毎年15メートルずつ北東に移動している*5。はじめは風下を訪れ、林や平原の広がる風景のなかに突如巨大な砂丘が現れる光景に面食らった。夜間に雨が降っており、風の弱い日だったため、砂丘にはなんなく登ることができた。風に吹かれて砂の表面にはさまざまな模様ができており、丘の上に登ると遠くまで広がる平らな平原と林が見えた。その次に訪れた風上のほうは圧巻だった。自転車で林のなかを1時間ほど走り、砂丘のサイドに到着。細い道を歩いて砂丘の上に登ると、砂丘の風上、つまり、これまでの何十年から何百年ものあいだに砂が荒廃させてきた土地には、ほぼまったく木がなく、高山植物のようなちりちりした花や草が生えた美しい沼地が、見渡す限り遠くのほうまで広がっていた。砂丘の風上側に降りてみると、前にはその沼地、背後には背の高い砂の塊があり、遠近感がおかしくなるような気がした。

移動する砂丘 (風上側)

 

灯台にもたくさん訪れ、だいたいは登ることもできた。登れる灯台、大好き。灰色灯台 (Det Grå Fyr) は円柱形のシュッとした形が美しく、夏のあいだだけ開放されている。先端まで登るとデンマークの強い風が吹き抜けており、光源の部分はきらきらと美しかった。併設の博物館では砂の特別展が開催されていて、手作り感があふれるけれどセンスが良く多面的な展示が広がっていた。さらに併設のカフェは居心地が良く、重要なことに料理が非常に美味しかった。お値段こそデンマーク価格だったけれど、マヨネーズの含まれる複雑な味のソースでキャベツがこんなごちそうになるなんて!とか、サワードウパンのこの完璧さ!といったすばらしい料理で、寒さが和らぎ空腹が満たされた。

灰色灯台

 

電車に乗ってレンタカーを使って、けっこう遠出をして訪れたルビャオ・クヌード灯台 (Rubjerg Knude Fyr) は、砂に飲み込まれた灯台だった。風の強い北海沿岸の砂丘を1キロメートルほど歩くと、ときどき砂嵐でまともに目を開けていられないような場所に現れた幻かと思うような、四角い灯台がぽつんと建っていた。中は登ることができるようになっており、砂が詰まり細かな傷がつき、あらゆるところに入り込み荒廃させていく砂の威力をまざまざと感じた。そして、この灯台が建つ砂丘は、実は海に侵食されて毎年少しずつ削れている。海に崩落する危険を先延ばしするため、2019年に大工事が行われて、灯台は内陸に70メートル移動したそうな*6灯台のてっぺんから見ると、かつて建っていた場所の基部と思われる石組みが砂丘の端でまさに海に落ちようとしており、そのあたりに行って海をのぞきこむと、砂に荒い波が打ちつけているのがはるか下方に眺められた。砂と海と人間の建造物と、それらのダイナミックな相互作用が鮮烈な印象を残した。

ルビャオ・クヌード灯台

 

休暇の終わり

始まったときには有り余るほどの時間があるように思われたけれど、気がつくと休暇は終わりに近づいていた。最終日の前日の午後にサマーハウスの掃除を済ませ、翌朝ごはんを食べて家を出るときには、このサマーハウスとスケーエンに対する名残惜しい気持ちとともに、休暇によって満たされた温かな心の存在を強く感じた。サマーハウスにはデンマーク人の大切にするHygge (居心地がよくリラックスしていること) があるというけれど、この心の温かみがそれなのだな。

 

途中のオールボーで美術館を見学し、コペンハーゲンに戻る4時間の電車に昼過ぎに乗車した。電車のなかで、一日一日を大切に思い出しながら何をしたかを反芻し、果たしてこれほど真剣に遊びこれほどしっかり休んだ休暇はいつぶりだったろうか……ということを考えた。来年の夏はもうデンマークにいないけれど、またいつか、デンマークのサマーハウスで夏を過ごすことができると良いな。

 

*1 デンマークの誇る著名な建築家Jørn Utzon (シドニーのオペラハウスを設計した人) を記念して建てられた博物館「Utzon Center」で開催されていたサマーハウスの特別展「HOLIDAY HOME」で、この文言を見たと記憶している。

*2 Sommerhuse i Danmark | Danmarks Statistik

*3 一次データを見つけられなかったものの、2015年の統計では、サマーハウスの93%が海岸線から2.5 km以内の距離にあるという結果が出ていたらしい。
Doing summer the Danish way | CPH post

*4 後日、灰色灯台 (Det Grå Fyr) でも同じ花が活けられているのを見て、Rが受付のお姉さんに尋ね、ヘザー (heather, Calluna vulgaris) という名前であることがわかった。林が途切れて苔の広がる平原になっているところでは、ヘザーとハナゴケがどこも一面に広がって満開になっていた。

 

*5 Råbjerg Mile | Danmarks Største Vandreklit

*6 Rubjerg Knude Fyr | VisitNordvestkysten

フェロー諸島のMykines島

イースターの後の4週目の金曜日はデンマークの祝日「大祈祷日」で、保育園もお休みになる。その週の月曜もメーデーでお休み。日本はGW真っ最中だし、保育園に子供を預けられなければ仕事もできないし、ということで、以前から行きたかったフェロー諸島に旅行に行ってきた※1


フェロー諸島でもっとも有名なのは、おそらく、そのユニークで壮大な景観ではないかと思う。玄武岩を主とした火山性の地質で、大きな険しい崖が海からいくつも切り立っているような地形をしている。暖流の影響で冬でも温暖な一方、海流は強くて海は厳しく、強い風や濃い霧に阻まれて島に出入りできず、群島が孤立することもしばしば。さながら (ヨーロッパから見た) 「世界の果て」といった様相を呈している。


そのフェロー諸島のなかでもさらに「果て」にあるのがMykines島。群島の最西端にあり、面積は10平方km。島の公式のサイトによると、年間を通じて居住する人の数はわずか11人で、年間のうち8ヶ月間はヘリコプターのみが島への出入り手段になるとのこと。しかし、5-8月は1日に2度フェリーが発着し、世界中から観光客が訪れるにぎやかな場所に変わる。私たちはちょうど5月1日に島に渡り、2泊して帰ってきた。

A sheep in Faroe Islands

 

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Mykines島には、フェロー諸島の魅力を凝縮したような壮大な景観と、ラムサール条約の登録地にもなっている海鳥の群生地がある。空港のある島からフェリーに乗って45分、まだまだ寒い船内で、荒波がばしゃばしゃ窓にかかってくるなか、島に向かった。わたしたちのほかに乗客は地元の人ふたりだけ。Mykines島はごつごつした海岸線から急な崖がそそり立っていて、船のつける場所も限られているみたいだった。小さな港に入っていくと、午前の便で島に来て1日を堪能した観光客たちがずらりと待っていて、出迎えられるような感じで船から出て行った。船着場からはそのまま急な階段が50 mほど上に続いており、スーツケースなどは巻き上げ機で上まで引き上げてくれた。階段を登りきると、スパッと切られたような100 m以上の高さがありそうな急な崖や山、青々と生える牧草、そこかしこに点在する羊たちが見えた。風は冷たく、春めき始めたコペンハーゲンよりずっと寒かった。

Ferry port of Mykines

 

数分歩くと島の中心部に到着し、屋根にも芝生の敷き詰められた丈の低いかわいらしい家々が並び、山から降りてきた水が川になって流れている集落が目の前に開けた。そのうちの手作りの一軒家が宿で、中に入ると床暖房で暖かく、木目調の家やインテリアは細部にもこだわりが感じられて、ロフトもあったりして、居心地が良さそうだった。もう19時くらいになっていて、今日いちにち気疲れしたこともあって※2、シャワーを浴び、持ってきた食材で簡単なごはんを作り※3、すぐにロフトに上がって眠った。緯度が高いためなかなか暗くならず、22時に布団に入ったときでも、外はまだやっと夕方になったような明るさだった。ちなみに、島には自動車の走れるような広い道がなく、バギーカーのような小さな車で重い荷物を運んでいた。

Village in Mykines

 

そのような感じで2泊を過ごした。散歩に出るとどこを向いてもすばらしい景色で、生まれたばかりの子羊が草原を駆けており、ずーっと向こうのほうまで続く草原は山や崖のところでスパッと終わっている。歩いていくとけっこう遠いけれど、そうした島の「きわ」は垂直に落ち込んで高さ数10 m以上の崖になっていて、カモメが気流に乗って飛び上がってくるのがたまに見える。もちろん怖くて「きわ」まで行くことはできないけれど、なんとなく、大西洋の荒い海が硬そうな岩場で砕けている様子がはるか下方にすかして見られるのだった。

Cliff edge of Mykines


この島に来た目的のひとつは、パフィン (ツノメドリ) を見ることだった。パフィンは冬季には海上で過ごし、春になると北方圏の沿岸部にやってきて繁殖する。Mykines島はパフィンの重要な営巣地になっていて、4月から9月くらいまで見られるとのことだった。宿のオーナーによると、すでにパフィンがやってきているとのことで、どのくらいいるのだろう、と、半分は見られなかったときの落ち込みを予期しながら向かった。島の西側の崖の上には大きな営巣地があるそうで、2日目、午前の船でやってきたほかの観光客とともに、牧草地を登って崖の稜線まで上がった。すると、すでにそこかしこにパフィンがおり、草の上で休んでいたり、パタパタと海の上まで飛んでいったりする様子が見えた。

Flying puffins in Mykines

 

鳥たちをおどかさないよう、静かにゆっくり歩き、決められた道から外れないようにしながら先に進む。崖の先端部はひときわ小高い丘になっていて、小さな広場があり、太陽が正面から射すわりに風が直接当たらないせいか、とっても温かかった。その周辺にたくさんのパフィンがおり、子供が疲れて眠そうにしていたこともあって、その広場に腰をおろしてしばし休んだ。すると直に子供は眠ってしまい、切り立った崖の上で、ひなたぼっこをしながら間近にパフィンたちを眺めるだけのすばらしい時間が訪れた。パフィンたちは何千羽もいて、オレンジのくちばしとちょこんとした目、水かきのあるオレンジの足で緑の草原をパタパタと歩く様子、ふわりと飛び立っていく様子、何百羽ものパフィンが空を飛び交う様子は、いつまで見ていても飽きなかった※4

Puffins in Mykines

A puffin in Mykines


2時間ほどすると子供が起き、崖を下って中心部に戻った。その後、子供はブランコで遊んだりして楽しみ、午後のフェリーで島を出た。行きの日はたまに強い雨の降る曇天だったけれど、次の2日間は晴天で比較的暖かかった。天候によっては外を歩いたりもできなくなるし、海が荒れて視界が悪くなるとフェローが欠航することもよくあるようで、運が良かったなと思う。その後数日、レンタカーを借りていろいろ周り、フェロー諸島最高峰の山道のすばらしい景色を眺めたり、遠くの静かな村でヴァイキングの遺跡を見たり、とにかく高い物価 (あるいは日本の安すぎる賃金とひどい円安) に辟易したりしながら、これまで見たこともないような景色を見て、想像もしなかったような人びとの暮らしがあることを知った。そうした話もまたどこかで書ければ良いなと思う。

Cliff in Mykines

 

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飛行機に乗ってデンマークに戻り、ほっとしながら家で眠ったその晩、パートナーはたくさんのパフィンが目の前で飛び交う夢を見たと言っていた。そうした唯一無二の経験をした一方で、パフィンは人間の影響で生息数を減らしており、フェロー諸島では生活のなかに観光客が踏み込んでくるのを快く思わない人も多いことも知った。また、壮大な自然が多く残る「世界の果て」で、排気ガスを撒き散らしながらただ観光のためにレンタカーを走らせることの愚かさにも思いを巡らせた。自然、生活、環境、そんないろいろなことについて、まったく新たな経験をした旅行となった。

View near Eiði, Faroe Islands

 

※1
フェロー諸島デンマーク自治領で、ノルウェーアイスランドスコットランドの中間くらいにぽつんと浮かぶ18の島からなる群島。デンマーク大使館の情報によるとフェロー諸島全土の面積は約1400平方kmと比較的小さいけれど (例えば東京23区の面積は約620平方km)、海岸線は1100 kmにも及ぶそう (例えば東京-大阪間の直線距離が400 km)。人口は約5万人。

※2
現地の観光案内がほとんどなく、様子がまったく想像できなかったので、飛行機の着く時刻とフェリーの出発する時刻に余裕を持たせて、6時間を静かな街でつぶした (それ以外の選択肢は30分でフェリー乗り場まで移動するかしかなかった)。街中にはかろうじて1軒カフェがあり、そこでブランチを食べながら2-3時間ぼんやりした。しかし子供はすぐに退屈し、その相手で気疲れする。まだ半分以上の時間を抱えたままフェリー乗り場まで移動したものの、待合所のようなものは一切なく、ここでもかろうじて開いていたローカルな商店に入ってイートインでまた2-3時間を過ごした。退屈した子供の相手でさらに気疲れ。ところが実際は、飛行機、公共バス、フェリーの時間が連動していて、空港から直接行けば島には午前中に渡れたのだった。

※3
Mykines島には小売店がなく、1軒あるレストランはそうとうに価格が高い (というよりフェロー諸島全体が物価が非常に高い) ことが予想されたので、食材をすべて持っていってごはんを作る作戦に出た。そのための食材をフェロー諸島についてから購入したけれど、なんと棚に並んでいたものはデンマークでよく行くノルウェー系のスーパーとほとんど同じで、種類はより少なく、価格は1.2-1.5倍くらいだった。野菜はだいたいがしなびていた。泣く泣く購入して島に渡ったけれど、たぶん、デンマークで食材などすべて購入してスーツケースに詰めて持っていき、直通のバスですぐに島に渡ってしまうのが正解だった。なお、島に入り土地を歩くには入島料がかかる。

※4
この先にはMykineshólmurと呼ばれる小島があり、その先端には (写真で見るかぎり) 見事な絶景に灯台が建っている。本当はここまで行ってみたかったけれど、地すべりで道が封鎖されているという情報がウェブサイトに載っていたことと、この崖を降りる道が険しくて子連れではまず不可能だったことから、灯台は遠くから眺めるだけで満足することとなってしまった。

冬の博物館・美術館

冬のコペンハーゲンは寒く、気温はせいぜい0℃前後だけれど、風が強いため体感温度はもっと低くなる。緯度が高いため日照時間は短く、晴れた日でも明るいのは1日のうち8時間くらい。そのため、冬は外に出歩くのが億劫になってくる。ほかの人びとがどうしているかはよく知らないけれど、そんなわけで、私たちは博物館・美術館をよく利用する。

冬の休みの日、ずっと家にいても子供が退屈するけれど、寒いので、快適な夏のように長く外に出ていることもできない。そんなときには博物館や美術館に行くのが良い。コペンハーゲンにはいろいろな種類の博物館・美術館が数多くあり、年間パスと子供フレンドリーという、居住者にとって非常に魅力的なふたつの特徴がある。

 

デンマークの博物館・美術館のほとんどが年間パスを発行している。日本より物価の高い国なので元値も高めだけれど (普通のところで約1500円から、有名どころでは3000円以上まで)、年間パスは、2-3回来れば元がとれるくらいの値段に設定されている。家族やパートナーと2人分の年間パスを購入すると、ひとり分をふたつ購入するよりも安い値段で手に入ることも多い。また、年間パスを提示すれば併設のカフェやショップが10%くらい割引になる特典がついていることもしばしば。ニュースレターや年間パス会員限定のイベント情報を届けてくれるところもある。なので、気に入っている博物館・美術館であれば、年間パスを購入してしまったほうが、トータルで見て、お得な感じがする。

デンマークに来て、ある博物館・美術館をどれだけ気にいるかというのには、展示の内容だけでなく、建物や全体の雰囲気、カフェの充実度なども関与するということを理解した。こちらの博物館・美術館は建物がユニークでおもしろく、敷地や庭がゆったりして気持ちがいいことが多い。展示を見なくとも、敷地内を歩いていて満足した気分になってしまうくらいのところもあるほど。また、ほぼ必ず、きちんとしたカフェやレストランが併設されており、そこでコーヒーを飲んだり軽い食事をしたりするのもリラックスできる。(日本と比べて物価が高いので、特に食事はなかなか気軽にはいかないけれど)

子供と文化施設に行くと、退屈したり別のところで遊びたがったりで、落ち着いて展示を見られないこともしばしば (というか常に) ということになる。そんなときでも年間パスを持っていると、観られなかった部分はまた来て観ればいいやと思えて、精神衛生上とてもよろしい。

そうでなくとも、デンマーク博物学・美術館は (というよりも社会全体が) 全体的に子供にやさしい。日本だと、ほかの来館者の迷惑になるかも…という恐れから、子供と一緒に、特に美術館に行くのは躊躇してしまう。そして、おそらく、そのために子供が美術館に来る頻度は低下し、「美術館は子供を連れてくる場所ではない」という暗黙の規範が強化されて、さらに子供を連れて行きづらくなる。

デンマーク博物学・美術館にはあまりそういう雰囲気がなく、子連れの人たちをたくさん見かける。さすがに走り回る子供はいないけれど、展示室も静粛にという厳格な感じではない。そもそも、博物学・美術館の側が積極的に子供を呼び込む態度があるように思う。バリアフリーのアクセス、ベビーカー置き場、貸し出しベビーカー、多目的トイレはまあ当たり前として、カフェでも子供向けメニューをたまに目にする (ただし日本より物価が高いので子供向けと言っても…以下略)。そしてなによりもすてきなシステムだと思うのが、子供のための展示と図工室である。

 

デンマークのだいたいの博物館・美術館には、子供のための展示や図工室がある。展示だと、手に触り内部に入り込んで楽しめる、子供の好きそうなテーマのもの (ヴァイキングや動物や虫めがねや体験型のしかけなど) が、けっこうなスペースを割いて用意されていたりする。それと、もちろんレゴも (レゴはデンマーク発祥)、展示に関連するものを作ってみよう、といった感じに置いてある。こうしたスペースにあるものも展示の一部だったりして、子供たちがここで遊ぶことが、なんとなく社会教育の機会となっている。

また、子供のための図工スペースも用意されていることが多い。簡単なところでは、プリントアウトされた塗り絵 (展示に関連する絵柄) と色鉛筆が置いてある。手の込んだところでは、グルーガンを使って立体造形ができたり、絵の具を使って水彩画を描けたり、ハサミと糊でコラージュができたり。画材会社などが用具を寄付していることが多いようで、清潔でよく整備されているにも関わらず、無料で利用でき、専属の職員さんが指導してくれるところもある。そのため、こうした図工室はいつでも大人気で、家族連れでにぎわっている。子供たちは、あるいは大人も一緒になって、みんな思い思いにそれぞれ好きなものを描いたり作ったり遊んだりして、作品を持ち帰ったり置いて帰ったりしている様子を見ると、何が起きるか予測のできない混沌とした雰囲気を感じる。調和の取れて整然とした美術館のなかに、意図的に、こうした「構造化されない構造」とでも言ったようなものを配置してしまうところが、デンマークデンマークらしいところだなと感心してしまう。こうして小さい頃から美術館・博物館になじんだ子供は、大きくなってからも (もしかしたらさらにその子供をつれて) 自然と博物館・美術館に足を運ぶようになり、将来の大事な顧客となるのだろう。目先の利益に汲々とするのではなく、長期的な持続可能性がよく考えられている。

 

どんより曇った冬の休日、朝ごはんを食べてすこし家事をして、年間パスをもっている博物館に行ってそこそこに展示を見て、疲れたらカフェでお茶にして、退屈した子供を子供スペースで遊ばせるのに付き合い、館内の机や椅子が並ぶ飲食スペースでお弁当を食べて、ミュージアムショップを少し覗いて帰る頃には、子供は昼寝をしており、食材を買ったり散歩をしたりして家に着く頃には夕方前のいい時間になっているのだった。

 

以下の写真はどこかわかるでしょうか…? (多くの博物館・美術館で写真撮影が許可されているのもうれしいところ)

Louisiana Museum of Modern Art

Statens Museum for Kunst: SMK

Ordrupgaard Museum

ARKEN Museum





シブヤで目覚めて

わたしたちの在り処

 

文学を読んでいるあいだ、わたしたちはどこにいるのだろうか?

 

……いや、その、物理的な身体をもつわたしたちは、ソファーに寝そべったり、電車のポールにもたれかかったりしながら文学を読んでいるとして、わたしたちの心はどこにいるのだろうか? 文学を読んでいるあいだ、物語の登場人物の視点で物語の世界を体感していることもあるし、物語の世界に居つつも透明人間のような存在として事の成りゆきを見守っていることもある。いずれにしても、文学を読んでいるあいだ、わたしたちの心は「いま」や「ここ」を離れて、文学の世界にいくらか没入しており、ちっともわからない海外の言葉で書かれた、いちども行ったことのない場所で起こっている出来事を、わがことのようになぞったりしている。

その一方、いまここで「文学を読んでいるわたし」というものもたしかに存在していて、文学の世界にふらふらと入りこんでいってしまった心のことをほほえみながら見守っていたりもする。文学を読んでいるあいだ、物語の世界でおこっている出来事を体験するわたしがいるだけでなく、物語に没入したわたしのことを知覚しているわたしも存在する。

 

『シブヤで目覚めて』

こんなことを考えることになったきっかけは、アンナ・ツィマの『シブヤで目覚めて』だった。プラハの大学で日本文学を専攻するヤナは、大学院生の先輩であるクリーマの助けを借りて、謎の日本人作家「川下清丸」とその小説を研究することになる。博識だけれどやや社会性に欠けるクリーマに気圧されたり反発したりしながら、ヤナとクリーマの距離はだんだん縮まっていく。そのころ日本では、ヤナの<想い>が渋谷に閉じ込められており、いつもハチ公前に戻ってきてしまうループを抜け出して、なんとか自分の存在を人にわかってもらい、チェコに帰りたいと苦心していた。なんとも突飛な状況ではあるけれど、プラハと渋谷でふたつに分裂したヤナの世界は、運命的なきっかけでふとつなぎあわされ、山下清丸の秘密とともに、統合のための糸口が明らかになっていく。

 

あの人はもう来ないという
蜘蛛が衣の裾に
糸を垂らし
肩を落とすなと
囁いているかのように

 

この小説を読みながら、私は、わたしの心はいったいどこにいるのだろうか? ということをよく考えた。日本に留学経験があり日本在住の著者が書くこの物語では、翻訳者の技量もあわさって、もとがチェコ語で書かれたものとは思えないほど、日本の描写や日本文学の話がリアルに展開されていく。そして、大正時代の作家「山下清丸」の書いた小説の文章が、ヤナとクリーマによってチェコ語に訳されていくのにあわせて少しずつ物語中に挟まり、この物語が最初から日本語で書かれているような錯覚をさらに強めていく。没入したわたしの心はこの物語をもともと日本語で書かているかのようになぞり、そうではなくてこれはチェコ語で書かれた海外文学の翻訳なのだと、本を読むわたしが訂正することがしばしばだった。そして、そんな読書体験が、プラハと渋谷に分裂したヤナの状況に重なった。

この小説はチェコの文学新人賞をいくつも受賞しており、内容がそれだけでとてもおもしろいことに折り紙をつけている (私もそのおもしろさを請けあいたい)。肝心なのは、このエントリを読んでいる人の大部分を占めるであろう日本語使用者にとっては、上記のようなメタ認知によって、さらにもう1層の厚みを追加してこの物語を味わえることだ。もしそのようなアドバンテージを持っているのなら、この小説を読んで、それを存分に楽しまない手はない。

 


メタ認知

日本がどう認知されているか、ということをなにやら認知できてしまうように思える点も、この小説の味わいの追加の厚み1層分に含まれるかもしれない。プラハの場面で描かれる、ニンジャ、ピカチュウ、アニメ、ステレオタイプだがあながち間違いでもない日本人像など、ビビッドな「とんでもジャパン」が、渋谷の場面になると、血の通ったリアルな日本に静かに変わっており、その対比に驚くことになる。

村上春樹の小説に出てきそうなモチーフ (乾いた執着、ファンタジーな並行世界、唐突なセックスの誘い) を思いおこしてしまったり、気が強いヤナとオタク風のクリーマの相互作用から生じる心の動きがラノベ風にも解釈できるなと思ってしまったり、本当はそう意図されていないかもしれない日本の風味を勝手に読み取っている自分を認知するのも、なにやらおもしろい読書体験となる。

そしてもうすこし言うと、渋谷をさまようヤナの<想い>が日本人には一切感知してもらえず、ヤナが話しかけても無視されたり意味不明なことを言われるという状況は、日本を訪れた「外国人」の体験のメタファーではないかということも思う。日本の都市部は個人と個人のコミュニケーションを積極的に遮断しているような空気があって、英語を自由に話せる人もそれほど多くはないし、日本を訪れた「外国人」は、きっと物語のなかのヤナのような気分を味わうのではないかと思ったりもする。

物語のもともとのおもしろさに加えて、そうした勝手な深読みができてしまうのも、『シブヤで目覚めて』の奇妙な楽しさなのかもしれない。

 

Advent Calendar

このエントリは、ふくろう (@0wl_man) さんの「海外文学 Advent Calendar 2022」に寄せたものです。せっかくなら、いま私が暮らしているデンマークの大好きな作家のことを書こうかと思ったのですが、それはつまりその作家の作品を含む大部分の小説が日本に置いてあって手元にないということでもあり、わずかに日本から持ってきていた (そして今年読んだなかでもけっこうおもしろかった)『シブヤで目覚めて』について書くことに落ち着いたのでした。

 

プラハのLegion橋から見下ろしたヴルタヴァ川

カレン・ブリクセン

『七つのゴシック物語』

2021年にデンマークにやってくるにあたり、紙の小説のほとんどは日本に置いてきてしまったのだけれど、もうだいぶ前に読んで内容もかなり忘れてしまった小説を数冊だけ持ってきた。そのなかのひとつが『七つのゴシック物語』(白水Uブックスの2巻に分かれた『ピサへの道』と『夢みる人びと』) で、これは、1934年に出版された、カレン・ブリクセン (イサク・ディーネセン) の最初の作品の日本語訳。カレン・ブリクセン (Karen Blixen) は、20世紀のデンマークを代表する作家で、わたしがもっとも大好きな小説家のひとり。

 

ブリクセンの作品は、しっかり精緻につくりこまれた正統派の物語であると思う。高貴な文体と見事な起承転結で、もはや過ぎ去ったきらびやかな時代が物静かに語られる。物語のなかにさまざまな人物が創り出され、鮮やかなストーリーテリングには目を見開き、考えてもみなかった結末を知ったあとで改めてゆっくりと物語を読み返したくなる。とはいえ、『バベットの晩餐会』は本棚のどこかに紛れ込んでしまい、『冬物語』は電子書籍で持っており、『アフリカの日々』は渡航前にちょうど読んだ。そんなわけで、目についた『七つのゴシック物語』を持ってきたのだった。

 

『七つのゴシック物語』は19世紀のヨーロッパを舞台にした7つの物語集で、高貴な文体と見事な起承転結というブリクセンの特徴がよく現れているように思う。異なる視点と偶然がクライマックスに向かって融け合っていき、読み終わったあと思わず感嘆のため息をついてしまう。最初に読んだのは8年前で、今回はこの物語の書かれたデンマークで再読して (語られたのはアフリカかもしれないけれど)、ほとんどの物語は初めて読むように楽しめた。7つの物語のうちのひとつの「詩人」は特に印象深かったらしく、結末をある程度思いだしただけでなく、8年前に感嘆してメモをとっていたところと同じところで今回もメモをとっていた。夜明け前の澄んだ空気のなかで、オルゴールの音が窓から漏れ聞こえ、豪華なシャンデリアに載せられたろうそくの灯りのもとで、驚くべき光景が盗み見られる……。この場面には震えた。

 

あのおんどりが死んだのは
めんどりのせいではなかったよ
緑の庭で鳴いていた
夜ウグイスのせいなのだ

 

それと、デンマークで1年を暮らしたことで、物語のなかの情景を目の前に浮かべられるようになっていた。暗く寒い冬の、エルシノーアとコペンハーゲンのあいだをむすぶ海岸や森の様子 (「エルシノーアの一夜」)、暗い冬が終わって世界が生まれ変わったかのような明るく生命力にあふれた5月の夜の様子 (「詩人」)。内容をほとんど忘れていたこともあって、別な自分が新たな物語を楽しんだような喜びがあった。

 

デンマークの冬の森

寒々とした冬の海

夏の森

Rungstedlundのカレン・ブリクセン博物館

コペンハーゲンから電車に乗って北に30分ほど行ったRungstedには、カレン・ブリクセンの住んだ家があり、現在そこは博物館「Karen Blixen Museum」となっている。電車を降りて海のほうに向かって気持ちのいい森を抜けていくと、白い壁と赤い屋根のすてきな家が見えてくる。

 

家の内部も居心地が良さそうで、ブリクセンの書斎は緑色の優雅な空間になっている。冬は海風が吹きつけて屋内も寒くなるけれど、海側から部屋や廊下で隔てられたこの書斎が、家の中でもっとも暖かい場所だったのだそうな。

 

台所にはお約束のメニュー表が貼ってあった。調理器具や食器のコレクションもすてきで、そこだけ別な展示のようになっていた。

 

2階にあがると広間や寝室があり、ファッションや身なりに情熱を注いだブリクセンの性格がうかがえるような雰囲気に満ちていた。2階の一部はなにかのパーティに使われており、立ち入ることができなかったけれど、こんなところで会食などしたら本当にすてきだろうなと思う。日本に比べてはるかに物価の高いデンマークのなかでもやや高価な部類ではあったけれど、併設のカフェ/レストランでお昼を注文すると、良い素材を丁寧に調理したすばらしい料理がでてきた。

 

ところで、展示を観ていると、老年のブリクセンは「自分に服従すれば成功を約束してやる」と若い男性詩人を囲ったものの、この野心的で数奇な関係は、詩人が家を出ていくことで終わりを告げた、といったことが書かれていた。なんだそれは、そんな小説みたいなことが現実にあるのか。そうと思っていると、まさにこのふたりの関係を取り上げた映画『The Pact』が2021年に公開されていたことを知った。これはぜひ観なければと思いつつ、ブリクセンの作品をもとにした映画『バベットの晩餐会』も『愛と悲しみの果て』も、まだ観られていない状況が続いているのだった。来年こそは観たいな。

 

帰りには森のなかを通り抜けて、ブリクセンのお墓にも足を運んだ。墓石の上には花束が供えてあった。

 

ハーバーバス

コペンハーゲンは夏。夏といえばこちらは休暇の季節。7-8月は大学から半分くらいは人がいなくなり、保育園は規模を縮小し、そのほかいろいろな業種もとにかく休みがちになる。「7月末までお休みします」「8月中旬に戻ります」みたいな張り紙をしたお店やカフェなども目立つ。研究室の同僚と話していたときには、日本ではどのくらい夏の休暇があるの?という話題になり、お盆休みに有給をくっつければ…ということで「1週間くらい」と答えたら、短いんだね……と悲しい目を向けられてしまった。

日本の夏のように湿度が高くなることはなく、気温はせいぜい上がって20℃後半。20℃後半になると人びとは「今日はsuper hotだね」などと言っている。そして夏には日が長くなり、さすがに6月頃よりは短くなりはしたけれど、朝は5時前に明るくなりはじめ、夜は22時過ぎまで外が明るい。過ごしやすい気候に加えて一日の活動時間も長くなり、人びとは真剣に休み遊ぶために浮足立つ。まぶしく輝く太陽も届かず同僚もほとんどみかけない研究室でひとりお仕事をしていると、「今日はちょっと早めに切り上げて散歩でもしてこようか…」という気にもなってくる。こちらの人たちはみな、人生を楽しむのが上手だ。

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さて、そんな夏に、してみたかったことがひとつある。それは街中のハーバーで泳ぐこと。

エコ先進国なだけあって、コペンハーゲンの河口や湾はとてもきれい。人が泳げるくらいに※1。そのようなわけで、コペンハーゲン市街中心部のウォーターフロントや、街の目と鼻の先にある湾には、人が泳いだり岸でくつろいだりできる区画「Københavns Havnebade」(英語ではバス“Bath”と呼ばれている)が4ヶ所整備されている。5月に街中のハーバー沿いを散歩していたところ、そのような区画のひとつをみつけて、もっと暖かくなったらぜひ来ようと思っていのだった。ちなみに、そのときは長袖を着るくらい肌寒かったけれど、覚悟を決めて冷たい海に飛び込もうとしている2-3人のグループがいて、幅30メートルくらいの遊泳場を端から端へと悠々と泳いでいる人が2人いた……。

 

ひとつ仕事の山が終わった翌日、天気予報で気温が上がることを確認し、ハーバー・バスに向かって出かけた。駅からすこし歩いていって、11時くらいに到着すると、水着を着た人たちがハーバー沿いのウッドデッキにたくさん寝転んでくつろいでいた。こちら岸には200人くらい、対岸には300人くらい。水鳥やアザラシが岸辺に集まって営巣している光景を想像してしまった。

Rとわたしはまっすぐに遊泳スペースに向かい、まずは様子を観察。幅30メートル奥行き10メートルくらいのスペースが岸に沿って設置されており、夏になって暑くなっただけあって、すでに6-7人がばしゃんと飛び込んだりして泳いでいる。遊泳スペースの入口には遊泳可能かを示す太陽発電式の表示があって、水が汚れていたりすると遊泳禁止になる仕組み。岸の中程にはライフガードの高い椅子があり、水上をたまにライフガードのボートが通ったりもして、安全にも配慮されている。

 

様子もつかめたので、前の人にならって服を脱ぎ、服の下に着てきた水着になって、まずは私から水に飛び込む。ばしゃんと頭の上まで水に浸かり、水面に顔を出すと、水がけっこう冷たくて気持ちが良い。この遊泳スペースは船も係留しているハーバーの中に区切られているので、けっこう深くて、水深はおそらく9 mくらい。岸の近くにはよくわからない藻が水中に生い茂っていて、あまり近寄りたくない。

そのまま30メートル先の向こう側まで往復して泳いで帰ってきた。こうしてみると水がけっこう冷たくて、もう一往復はちょっと無理かな……という感じ。ほかに泳いでいた人たちもそんな感じでわりとすぐに水からあがり、岸沿いのウッドデッキに寝そべって日光浴をしている時間のほうが圧倒的に長い。

次にRと交代してRが泳いでくることになったものの、そろりそろりと足をつけただけで「冷たすぎる!」と言っており、がんばって水に浸かっても1-2メートル行っただけで帰ってきてしまった。なんだか自分の冷たさの感覚がおかしくなってしまったのかとも思ったけれど、発掘調査で毎年訪れていた夏の礼文島の海水のほうが冷たかったように思うので、きっとそんなことはないはず。

 

そうして、わたしたちも周りの人びとにならってウッドデッキに寝そべって日光浴をする。すこし公衆トイレのような匂いがする気がするけれど、たぶん気のせいであろう。太陽は夏の光で、陽にあたっていると温かくて気持ちが良い。R曰く、これは自然のサウナではないかと。日光に当たって体を温め、熱くなってきたら冷たい水に飛び込んで体を冷やすのだ。そう言われるとたしかにそのような気がしてくる。

湿度が低いため体の水はけっこうすぐ乾いた。特筆すべきこととして、乾いたあとの体はベタつかず、海の生臭い匂いもしない。こんなに快適だったら、海に入ったあともウッドデッキで日光浴をしたりお昼ごはんを食べたりしたくなるよなあと周りを見て実感する。おそらく、海水が貧栄養なのではないか。また、バルト海は全体的に塩分濃度が低い傾向があるためか、泳いでいたときに口に入った水もそこまで塩辛くはなかった。

 

体が温まったのでタオルで体を拭いて、服を着て、ハーバーをあとにした。もうお昼を過ぎていたし、泳いでお腹も減ったので、近くのカフェに行き、道路に机と椅子が並べられた屋外の席でケーキを食べてコーヒーを飲んだ。

まぶしい日差し、冷たい水、ハーバーを取り巻く夏休みの雰囲気が想像以上に気持ち良く、別の場所にあるバスにもぜひ行かなければと思ったのだった。

 

※1 上述の文書を参考にすると以下のように書いてある。コペンハーゲンの南は工業地帯だったが、その地域を居住域に転換することを1989年に決め、1992年には海で泳ぎ魚を釣れるように浄化することを決めた。1億ユーロ以上のお金を投下して下水処理システムを改築し、2000年代になると人が泳げるようになった。しかし、海底にはまだ汚染された土が残っており、この除去計画も進められている。

プラハ

念願かなってチェコに来ることができた。いろいろとおすすめの場所を教えていただいており、プログラムの合間の短い時間にも迷わずいろいろな場所に行くことができた。自分の足と経験で良いところを探していくのも旅の醍醐味ではあるし、おすすめをほかの人に聞いてそのとおりに行動するのはただ乗りのようで悪い気持ちになってしまうけれど、時間が限られていて子連れで行動範囲が狭まっていると非常にありがたいものでした。


いくつか印象に残っている場所

街の様子

古い時代から存在する建物が、そのときどきの人間の営みを次々にインストールしていった痕が、そこかしこに重層的に残っているような雰囲気。迷路のような路地を抜けると開けた先に高い尖塔がそびえているのが見えたり、扉を開けて建物の中に入るとゴチック様式の見事な装飾が広がっていたり。研究室の同僚が「プラハはヨーロッパでいちばん美しい街だと思う」と言っていた理由がよくわかるような気がした。
特に記憶に残っているのは、Muzeumから駅から近くのレストランに行ったときのこと。Googleマップが建物の中の道を示し、どこかシュールでかわいい装飾のアーケードを抜けていくと、少し開けたところで逆さの馬がぶらさがっていた。その先には映画館。一瞬、自分がつげ義春かなにかの漫画の中にいるような気がした。

 

Kostel svatého Jakuba Většího(聖ヤコブ教会)

日曜の朝に訪れると、教えていただいた情報のとおり、オルガンのコンサートが開催されていた。低い音が響いてくる扉を開けて中に入ると、バロック様式の装飾が高い天井まで続いていた。見事な装飾を静かに見て回り、椅子に腰掛けてオルガンの音に耳をすませていると、厳かな気持ちになってくる。涙を流している人もいた。

 

České muzeum hudby(チェコ音楽博物館)

吹き抜けの建物が楽器の内部を見ているようで美しかった。常設展は楽器を演奏したりできて、子供も大人も楽しんでおり。そして特におもしろかったのは特別展。「動物」をテーマにした楽器や音楽をさまざまな角度から展示していて、動物素材の楽器、動物を模した楽器、楽器のなかで動物の名前で呼ばれている部位、動物が出てくる音楽、などなど。楽器が置いてあって演奏できたり、ヘッドフォンがかかっていて音楽を聞けたり、白鳥の湖の衣装を着て(録画された)ダンサーのインストラクションを受けられたり。昔ながらといった感じの職員さんや警備員さんもすてき。

 

Petřín(ペトシーンの丘)

時間がなくて通り抜けただけだけれど、とても気持ちの良いところだった。傾斜のついた丘に芝生や森が広がっていて、お弁当やコーヒーを持ってピクニックに出かけたくなるような。ケーブルカーが走っているのも楽しい。庭園や民族学博物館もあったようなので、また来ることがあったらもっと探索しなければ。

 

Vyšehrad

川沿いのトラムの最寄り駅で降りて坂を登っていくと、Vyšehradのお城の森の中に入っていった。細い小道が好きなのだけれど、民家があったりしたのがだんだんと古いお城の雰囲気に変わっていくのが特にすてきだった。夏の木漏れ日が気持ちよかった。

 

Národní Muzeum(国立博物館

博物館好きとしては外せないところ。建物自体がすてきで、展示も遊び心があって楽しい。考古学の展示がほとんどない…と思っていたら、改装中だったそう。キューポラの内部まで登って、建物上部の彫刻を間近で見つつ、街を見下ろすのが楽しい。博物館の建物の歴史を短く示したアニメがかわいかった。新館に移動する地下通路で流れている映像もずっと見ていたかった。


すてきなお店

Winebar 0,75 [Sedmička]

お店の雰囲気もワインもおつまみも最高だった。店員さんが丁寧にワインや食材の説明をしてくれて、ふんふんと聞いていた。家の近くにあったら通ってしまいそう。

 

Champagneria

夕食の予定が始まるまでの数十分で行ってみた。涼しいお店の外に多くのお客さんが座っていて、店内は落ち着いた雰囲気。シャンパンもおつまみもおいしくて、むしろここで夕食にしてしまいたかったな。

 

Kantýna

食堂のような開放感のある雰囲気に、とにかくおいしい肉料理! サラダやスープも大満足。2回訪れてしまった。心残りは、かわいい柄のオリジナルエコバッグを購入し損ねたこと。

 

食べ物いろいろ

ハムやおそうざいがとにかくおいしい。スーパーで購入したものでも本当に旨味があるし、パン屋さんに売っていたなんでもないパンにハムとチーズをはさんだようなサンドイッチにすら感動してしまった。ゼリー風の寄せハム(tlačenka)にはちょっと苦手感を持っていたのだけれど、同じくスーパーで購入したものを食べたら、これまでに食べた寄せハムのなかで一番おいしくてびっくりしてしまった。

レストランで食べたカリフラワーのフライ(smažený kvěvták)は、カリカリしつつ内部はもちっとしていて、シンプルだけれどとてもおいしかった。Lはこればかりぱくぱく食べていた。おすすめしていただいた理由が食べてすぐにわかった。花の部分になにか詰め物がしてあるような気もした。

はちみつケーキ(medovník)は、ホロホロとした生地とはちみつが層状に重ねられており、風味があって甘すぎず、いくらでも食べられてしまう。気持ちの良い外カフェに座ってお茶やコーヒーと一緒にいただきたい。

ジャガイモの千切りフライ(bramborák)はKantýnaのカウンターに並んでいたものをRが注文した(私もおいしそうだと思っていた)。ニンニクがたっぷりきいていて、サクサクもちもちして、お酒のおつまみにぴったり。たっぷり脂を吸っていて、けっこうボリュームがあった。

細長いパンのロフリーク(rohlík)は、スーパーで山積みにされていて、みんな何本も袋に放り込んで買っていく。シンプルなパンだけに小麦のかおりが香ばしくて、日常的に食べたくなってしまう。

 

全体的に

観光に来たわけではなかったので、それほどたくさんの場所に行くことはできなかった。けれど、重層的に入り組んだ街の雰囲気をとてもすてきに思った。グラフィックなデザインには、多くの場合、シンプルでかわいくてどこか乾いたユーモアがあるように思い、けっこういろんなものに惹かれてしまった。Libuše Niklováのラバーのおもちゃなんか大好きだと思ったし、モグラクルテクのグッズが所狭しと並んだPohádkaの店内には目を輝かせてしまった。食事は多様でおいしくて、デンマークでもこんなものが食べられたらなと思う。
改めて、すてきなおすすめを紹介してくださったSさんとMさんに感謝申し上げます。