ひとりのお昼
家でひとりの昼食なんかに、適当な料理をつくって、のんびりと食べるのが好きだ。
前夜の夕食をつくるときや、当日の朝食をつくるとき、冷蔵庫の中身をささっと調べながら、どの食材を使って何をつくろう…ということを考えている。めずらしい食材やぜいたくなものは、家族といっしょに食べたいから、ひとりの昼食には使わない。あんまり人気がなくて、でも私は大好きなもの、そういう食材が、主役になる。
家族を送り出したあと、「今日はあれをつくろう」ということを思いながら、午前中のお仕事にとりかかる。お昼をつくるのが楽しみで、仕事を進める手も軽やかになる。ちょっとお腹が空いたりするから、10時くらいにコーヒーを淹れて、お茶菓子を食べながら休憩する。
下ごしらえが必要なら、そういう10時の休憩なんかのときに、ちょっとした準備を開始する。炒める野菜を冷蔵庫から出して常温にしておいたり、豆腐に重しをして水気を抜きはじめたり。ひとりで適当につくる昼食だから、あんまり手の凝った準備はしない。てきとう、てきとう。
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場合によっては、食材の買い出しが必要な料理をつくりたくなってしまうこともある。メインの食材はあるんだけど、追加で入れるあの野菜がないとか、調味料から何から全部そろってるんだけど、お肉だけ使い切っちゃったんだった…とか。
午前中に買い物に行ければ良いのだけれど、必ずしも行けるわけではない。仕事がノッていて机を離れたくなかったり、なんとなくずるずると機会を逃してしまったり。そういうときには、まあ仕方ないから、別な食材で代用してみたり、泣く泣くその料理をあきらめて翌日つくることにしたり、やはり空きっ腹を抱えて買い物にでかけたり。
わたしはけっこう、意外な組み合わせを発見して、料理のレパートリーが新たに増えるような奇跡が起こるかもしれない、という希望のもとに、別な食材で代用してみることが多い。けれど、その結果は十中八九、「ああ…なんだかやっぱりもの足りない…」ということになるのだった。
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11時半を過ぎたら、もう良いかな、という気持ちがする。いそいそと仕事机を離れて、台所に立ち、ひとりぶんの慎ましやかな量の食材を選り分けてくる。朝が早いとお腹が空くから、早くお昼を食べたいけれども、11時に食べるのなんかは、ちょっと早すぎるような気がしてしまう。
誰かに食べさせるわけではないから、自分好みの調理具合や味つけにして、さらにアレンジを加えてみたりする。エビで出汁をとってみたり、中華食材のスパイスを加えてみたり、オリーブオイルをつかってみたり。ひとりの昼食は、言うなれば、料理の実験場のおもむきがあって、ここでいろいろ試した結果、こうしたほうがおいしい、というようなことがあれば、家族を食べさせるための料理に応用する。
料理の組み合わせもあまり気にしない。中華風の野菜炒めをつくったものの、パンも食べたい気分だったから、お米を温めるのではなく、食パンをトースターで焼いてみたりする。気にしない気にしない。てきとうなのが良いのです。
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午前中から明るい雨がぱらついてきて、ひとりのお昼をつくった頃には、外はだいぶしとしとしていた。もう梅雨になっているような気分。白熱灯をひとつつけて、湯気のたっている昼食を前に、あれやこれやのいろんなことをぼんやり考えながら、自分でつくったお昼を食べる。
食べ終わったら、午後の仕事もがんばらなきゃ。
ちくわの音
ちくわを食べている。
どうしてちくわなんか食べているかというと、旅先にいて、満足な調理環境を用意できていないからなのだった。つい先日、滞在先の近くにあるスーパーに行くと、一口サイズに切られたちくわにわさび風味のマヨネーズがついたものが、半額になって100円くらいで売られていた。晩ごはんの献立に迷っていた私は、これ幸いとばかりに、そのちくわを買い物かごに放り込んだ。
野菜で簡単なスープを作って、それとは別に、そのちくわをお皿にあけて、マヨネーズをむにむにっとかけて、おかずとした。そうして驚いたのだけれど、思っていた以上にちくわがおいしかったのだった。表面がちょっとぱりぱりしていて香ばしく、練り物のぼんやりした味に、噛みごたえがあってなんだか楽しい。そうして、マヨネーズの脂っけとほんのりしたわさびが、ちくわの風味に深みを与えている。
誰かに作ってあげるわけでもなくて、自分で作ってその場で食べきってしまうのだから、なんだか手抜きっぽく見えたって構いはしない。お皿にあけて、ちょっとした味やアクセントをつけるだけで、安くてヘルシーだけれどお腹にたまるおかずが完成する。ちくわ、すごいじゃない…!
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それ以来、ちょっとしたちくわブームが到来している。いろんな会社の製品を試してみたり、トッピングにバリエーションをつけてみたり。醤油をささっとかけたところにわけぎを切ってちらしたり、練りわさびとほぐし焼き海苔で食べてみたり。コンビニにも売っているので、本当に手軽に手に入る。
ちくわと言ったら、これまでは、おでんに入っているそこまでうれしくもない具のひとつだったり、チーズやキュウリが穴に押し込まれたお弁当の隙間埋め要員だったり、という印象だった。それが、良い方向に裏切られた。
旅先のホテルやらゲストハウスのリビングやらで、夜にひとり、ちくわをぶつ切りにしてお皿に盛って、その日の気分やその場にあるトッピングで工夫した切れ端をひとつひとつゆっくり食べていくのは、ちょっとしたわびしさも手伝って、なんだか良いものであるように思う。
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そんなふうにちくわを食べながらふと思うのは、ちくわを食べる様子を表す適切な擬態語/擬音語はなんだろう…?ということだった。ちくわの質感はなんと形容していいのかわからないし (もっちり? しっとり? くにくに?)、噛んでみたところでパリパリ音がするわけでもない。なんともとらえどころがなく、なにか特定の語を当てはめてみても、途端にそれが適切ではないような気がしてくるのだった。
もう一口食べてみたら、うまく形容できるかもしれない、と箸がすすむ。ちくわを食べる音を適切に表せるまでは、このちくわブームは続いてしまうのかもしれない。